私が普段ノンケ生活をしていく上で、口が裂けても言えないトピックであるかもしれない同性愛について、書き綴ってみようと思う。なぜこのテーマで本日の記事を書いているかといえば、ブログやインターネットの匿名性が同性愛についての世間の考えを変化させるきっかけになっていると思うからだ。「私は同性愛者です!」と50年前に堂々と言えた人はどのくらいいたのだろう?おそらく今の2011年のようにtwitterやSNSなどの媒体は存在していない状況であるから、自分がその発言をすることによる影響の大きさに戸惑い、ほとんどの同性愛者は自身のセクシャルマイノリティについて言及できなかったのではないか。
それが今はどうだろう。こうしてアメブロのランキングカテゴリーの中でさえ、3000人以上のブロガーを抱えるまでのコミュニティーとなっている。そして、ブログであれば、本名を明かす必要もないし、心の声を文章化して、不特定多数の人にアピールできることになるから、同性愛者にとって、現代ほどよい時代はないのではないだろうか。実際に、私は現在社会人2年目であるのだが、これまでの人生で同性愛者であることに対して、特に悩んだり、自分を蔑んだりすることはなかった。もともとの性格で、ある程度気の強さがある部分もあると思うが、別に女性が女性を好きになろうが、男性が男性を好きになろうが、それは個人の勝手だし、それでその人たちがお互いに幸せになれるのであれば、性別なんて全く関係ないと思っている。ただし、実際にはいろいろな価値観の人がいるわけで、同性愛は生理的に受け付けないだとか、宗教の倫理に反するから認められないだとか、個人の価値観によって、同性愛に対する捉えられ方は千差万別なはずだ。
私が特に同性愛者を認めない人、つまりアンチ同性愛者に対して普段感じることは、「あなた達は、ダイバーシティを認めることができないのですか?」ということだ。小学校や中学校、高校とほとんどの人が学校というコミュニティーを通しても、自分の想像を遥かに超えた価値観や意見をもつ人はいたはずだ。それが原因でいじめや、もしくはその逆で人気者になる場合もあったかもしれないが、少なくともダイバーシティに対する耐性はついていたはずだ。それにも関わらず、人と同じ価値観を持つことが「正」とする雰囲気を醸成してしまっている現代社会が存在することは残念でならない。
では、どうすればセクシャルマイノリティーの方々が社会的に成功することができるのだろうか?答えは、単純だと思う。自分の関わりの深い、もしくは関わらなければならないコミュニティに必要とされるスキルや能力を最大限に高め、自身の存在価値を最大限に高めることだ。たとえば、部活動でテニス部に入っていたとしよう。そのコミュニティ、つまりテニス部では、テニスが強いことが、必ずステータスとなる。ただし、それ以外の要素で面白いだとか、場の空気を読むことができるなどの他の要素が存在価値になることもあるが、やはり、ここでのケースのテニス部というコミュニティを考慮した場合、最大のステータスとなるのは、テニスが強いことだろう。そして、A君がものすごくテニスが強い生徒で、ゲイだったとしても、彼が誰からも認められないなんてことはおきないはずだ。実際にTV業界では、おねぇの方々の活躍が目覚しいが、彼女達に共通しているのは、それぞれ一般人と比較しても、ある分野においてはヒエラルキーの頂点に位置することができるほどのスキルや能力を持っていることのだ。
したがって、今後の私が24年間生きてきた中で、更なる精進を目指すには、自身の関わるコミュニティに必要とされる能力やスキルは何かを早急に見極めて、それを最大限に引き出す努力をすることだ。セクシャルマイノリティの方々だって、24時間365日、常にセックスをしているわけではないし、それ以外の時間は必ず、セクシャルマイノリティが別になんのステータスにもならない時間を過ごしているはずだ。だからこそ、別にセクシャルマイノリティーなんて、ただの性癖だよとか、私はゲイだけど、仕事ではノンケの人より世間的には評価されているし、何にも悩んでないよ、というような明るい?世界になってほしいと切に願っている。
なんだか仕事終わりの就寝前に、このテーマで記事を書いているのは、ずっと心が訴えたかったのかな。少しでもこの記事を読んでくださった方が、何かの自信になったり、ノンケ生活を送っている社会人2年目の人はこういう思考をするのね、とか興味をもってくれたら、これ以上の喜びはありません。ハッテンバの記事が一番読まれているという解析結果には、まぁ、ブログってそんなもんだろうと思いつつ・・・笑。
それが今はどうだろう。こうしてアメブロのランキングカテゴリーの中でさえ、3000人以上のブロガーを抱えるまでのコミュニティーとなっている。そして、ブログであれば、本名を明かす必要もないし、心の声を文章化して、不特定多数の人にアピールできることになるから、同性愛者にとって、現代ほどよい時代はないのではないだろうか。実際に、私は現在社会人2年目であるのだが、これまでの人生で同性愛者であることに対して、特に悩んだり、自分を蔑んだりすることはなかった。もともとの性格で、ある程度気の強さがある部分もあると思うが、別に女性が女性を好きになろうが、男性が男性を好きになろうが、それは個人の勝手だし、それでその人たちがお互いに幸せになれるのであれば、性別なんて全く関係ないと思っている。ただし、実際にはいろいろな価値観の人がいるわけで、同性愛は生理的に受け付けないだとか、宗教の倫理に反するから認められないだとか、個人の価値観によって、同性愛に対する捉えられ方は千差万別なはずだ。
私が特に同性愛者を認めない人、つまりアンチ同性愛者に対して普段感じることは、「あなた達は、ダイバーシティを認めることができないのですか?」ということだ。小学校や中学校、高校とほとんどの人が学校というコミュニティーを通しても、自分の想像を遥かに超えた価値観や意見をもつ人はいたはずだ。それが原因でいじめや、もしくはその逆で人気者になる場合もあったかもしれないが、少なくともダイバーシティに対する耐性はついていたはずだ。それにも関わらず、人と同じ価値観を持つことが「正」とする雰囲気を醸成してしまっている現代社会が存在することは残念でならない。
では、どうすればセクシャルマイノリティーの方々が社会的に成功することができるのだろうか?答えは、単純だと思う。自分の関わりの深い、もしくは関わらなければならないコミュニティに必要とされるスキルや能力を最大限に高め、自身の存在価値を最大限に高めることだ。たとえば、部活動でテニス部に入っていたとしよう。そのコミュニティ、つまりテニス部では、テニスが強いことが、必ずステータスとなる。ただし、それ以外の要素で面白いだとか、場の空気を読むことができるなどの他の要素が存在価値になることもあるが、やはり、ここでのケースのテニス部というコミュニティを考慮した場合、最大のステータスとなるのは、テニスが強いことだろう。そして、A君がものすごくテニスが強い生徒で、ゲイだったとしても、彼が誰からも認められないなんてことはおきないはずだ。実際にTV業界では、おねぇの方々の活躍が目覚しいが、彼女達に共通しているのは、それぞれ一般人と比較しても、ある分野においてはヒエラルキーの頂点に位置することができるほどのスキルや能力を持っていることのだ。
したがって、今後の私が24年間生きてきた中で、更なる精進を目指すには、自身の関わるコミュニティに必要とされる能力やスキルは何かを早急に見極めて、それを最大限に引き出す努力をすることだ。セクシャルマイノリティの方々だって、24時間365日、常にセックスをしているわけではないし、それ以外の時間は必ず、セクシャルマイノリティが別になんのステータスにもならない時間を過ごしているはずだ。だからこそ、別にセクシャルマイノリティーなんて、ただの性癖だよとか、私はゲイだけど、仕事ではノンケの人より世間的には評価されているし、何にも悩んでないよ、というような明るい?世界になってほしいと切に願っている。
なんだか仕事終わりの就寝前に、このテーマで記事を書いているのは、ずっと心が訴えたかったのかな。少しでもこの記事を読んでくださった方が、何かの自信になったり、ノンケ生活を送っている社会人2年目の人はこういう思考をするのね、とか興味をもってくれたら、これ以上の喜びはありません。ハッテンバの記事が一番読まれているという解析結果には、まぁ、ブログってそんなもんだろうと思いつつ・・・笑。