最近は男女共に非常に多く見受けられる。
【フレーム】は確かに長期的に見て当てはまっていた方が良いのは確かである。
逆に自分が【フレーム】として好まれている事を考えてみるとどうだろうか?
【フレーム】に合っているから好まれてるに過ぎず
自分そのものを理解し好んでくれている訳ではないのが殆どである。
必要なくなれば・今以上の理想フレームが見つかれば
いつでも交換可能なその場凌ぎの存在でしかないのだ。
私の母校ではその良い例として【恋人交換】が行われていた
これは不要になった恋人を自分の理想フレームに近い友人の恋人を
合意の下でトレードを行うものである。
友人は自分の彼女を新しい彼女とし
自分は友人の彼女を新しい彼女とする
人間も使い捨てからエコ・リサイクルの時代に突入している様だ。
時代とドライに捕らえるのか?
人間と言うものは所詮自己の欲を満たす為にしか生きられない事を示す一例とするのか?
フェミニストや現代の社会の様に女性が女性がと一方的に男性を非難する一例になるのか?
それは個人の思想によるものだろう。
ただ、個人的に言わせていただけばレイプ等を除けば援助交際も乱交も上記のトレードも女性合意の下
行われている訳である。
この事実を無視した上での主張は無意味である。
逆に上記の様な主張が通る世ならそれは男女平等社会ではないと言う事である。
私は社会主義を推してはいるが...
それは平等で平穏な世界を推すものであって
女性を特別視する事を推している訳ではない。
理想もイメージも大切だろう
けれどもたまには損得を加味しないフレームでは無い恋愛や人間関係も探してみては如何だろうか?
そうすれば貴方が生きている世界が貴方が思うよりも美しい事を知る事が出来る筈に違いない。
そしてもう一つ
想いが届く届かない叶う叶わないで自分や相手の価値や経験を量らない事だ。
誰かを想う事はいとも簡単に出来るようでも実は物事を成すよりも難しいのだから。