前回のブログの終わりに書いたように、今回は、結婚したという連絡のあったアメリカで初めて付き合った彼女のことを思い出話で書いてみたいと思います。

 彼女と出会ったのは、アメリカに来た十六年前になります。
 
 確か、この冬は、何十年ぶりという冷え込みで、この後、移ったニューヨークでも、かなりの積雪量を記録してました。 

 大学は、小さな町らしく、総生徒数は千人に満たないほどです。 そうはいっても、土地は、あまりあるほどあるので、キャンパス自体は、広い。 毎年、十数人の日本人語学研修生がやってくるということもあり、片田舎の大学でも、学生達は、親しみやすかったのを覚えてます。 
 
 語学研修が始まってから、二週間程したある日、いつも、学生であふれている学食から、すっかり人影がなくなっているのに気付きました。 まだ、十一月の終わりだというのにです。 冬休みには、少し早すぎるのではないか思っていると、学食のおばさんが、今日からは、サンクスギビング(感謝祭)で一週間程休みになるということを教えてくれました。 
 
 サンクスギビングは、毎年、十一月の第四木曜日に、七面鳥を中心に家族がいろいろな食事を持ち寄り、たらふく食べるのが習慣であるそうです。 
 
 その始まりは、1620年。 信教の自由を求め、メイフラワー号で厳しい航海を乗り越えてマサチューセッツ州プリマスに上陸した清教徒たちが、飢えと寒さで次々に倒れ苦しんでいる時、インディアンから学んだ狩猟や農耕で、命を救われ、毎年、収穫期には、神に感謝を捧げるための会食を開いたことによる。 この会食には、命の恩人であるインディアンも招かれたが、友人のなかには、歴史を皮肉って、インディアンをだますための会食だなどとジョークをいうものもある。 自分もこの七年余りの間、サンクスギビングの日には、いろいろな家族に招待されたが、どちらかというと、日本での正月の雰囲気と似ているような感じです。
 この十六年間の間で、何度か、いろいろな家族のところへ、サンクスギビングに招待されて食事に行ったのですが、その食べる量には、いつも驚かされます。 
 
 さて、話を戻しましょう。 

 学食をよく見渡すと、何人かの学生が、まだ残っていました。 彼らは、バスケットボール部の選手で、サンクスギビング当日まで、まだ二試合残っているので、それをこなしてから、それぞれ実家に戻るらしいのです。 そのうちの一試合が、ホームでの開催というので、語学研修の仲間の何人かと、見に行くことにしました。 
 
 試合は、均衡し非常に白熱したものでした。 そんな時、ハーフタイムにアクシデントが起きました。 試合開始からかわいいなと思っていた女の子が、スティールしたボールを勢いよく相手のコートに運び、シュートという時に、後ろからチャージしてきた選手に背中を押され、不器用な格好でコートに倒れこんでしまったのです。 後でわかったのですが右ひざ靭帯の損傷でした。 

 翌日の夜、友人と一緒に、見舞いをかねて女子寮をおとずれました。 下心がないと言えば、嘘になります。 試合の最中から、かわいい子だなとおもってたんですから。 かわいいといっても、体格は、自分よりもしっかりしているかもしれないけど。 身長は、180cm、体重は、70kgはあるのですから。 
 彼女を見つけるのは、たいして難しくはなかった。 体格がいいからというのではなく、女子寮に残っていたのは、バスケ部の部員達だけで、さらに、怪我した彼女をなぐさめるためのパーティーが賑やかに開かれていたからです。 
 
 彼女らは、非常にオープンで、自分達をすぐに受け入れてくれました。
 
 彼女の名前は、アディ。 ギブスをはめた足をベッドの上に投げ出したアディは、スポーツウーマンらしく、非常にさわやかな笑顔の持ち主だった。 彼女のルームメイトは、気を利かせて彼女の隣を、空けてくれた。 彼女は、片言の英語で何とかコミュニケーションを図ろうとする自分を必死になって理解してくれました。 
 
 以来、時間の合間を縫って、一緒に映画を見に行ったり、食事を楽しむなど、高校生のようなデートを繰り返しました。
 
 しかし、一月の初めには、語学研修を終え、ニューヨークの大学に移るため、この楽しい時間とも、一時終わりを告げねばなりませんでした。 アディと自分は、遠距離にはなるが、この関係を続けていくことにしました。
 
 ニューヨークの大学に移った後も、お互いの気持ちを確かめ合うように、手紙や電話で、連絡をとりあい、彼女の怪我の具合、自分の新しい大学での生活、お互いを恋しがることなど、話題にはつきませんでした。
 
 新しい大学での生活が、始まってから二ヶ月程経った時にあるスプリングブレイクと呼ばれる一週間ほどの春休みの時は、飛行機を乗り継いで、エルキンスまで、彼女に会いにもいきました。 ニューヨークからピッツバーグに飛び、そこから、小さなプロペラ機に乗り換え、エルキンスから一時間ほど離れた地元の空港という経路をたどったのですが、しかし、このプロペラ機が、まるでインディアナジョーンズに出てくる家畜を乗せたようなポンコツ機で、薄っぺらい窓の外は、空であることを実感させられ、落ちるのではないかと思うほど揺れるのでした。 空港で待っていてくれるアディの笑顔を、脳裏に浮かべ、手に汗握る飛行に耐えたのを覚えています。 もちろん、その価値があったのは、言うまでもあるまりません。 

 この一週間は、彼女の父親が建てたという実家で過ごしました。 まるで「北の国から」に出てくるような家でした。 彼女は、四人姉弟の長女だが、弟たちが生まれるまでは、貧しかったということもあり、トレーラーハウスで生活をしていたといいます。
 
 トレーラーハウスとは、読んで文字のごとくトレーラーを家にしたものです。 郊外に住む低所得者の多くが、このトレーラーハウスで、暮らしているといいます。 彼女の弟が、二十歳で、婚約者と同棲するときも、婚約祝いとして贈られたトレーラーハウスでの暮らしを始めました。 また、映画「Million Dollar Baby」で、二度目のオスカーをとったHilary Swankも貧しい家庭に生まれ、トレーラーハウスで育ったそうです。
 
 アメリカで、リアリテイーショーが流行りだしたころに、トレーラーハウスを大改装する番組制作に携わったことがありましたが、スペースは、大体四畳半ぐらいの部屋が三つにわかれ、それに、リビングルームとキッチンがあります。 皆が皆そうではないと信じたいですが、とりあえず、番組制作中携わった十三軒のトレーラーハウスは、とにかく汚かった。 床下には黴が生え、トイレは、黄ばんでいて触る気にはなれませんでした。 そこで用を足すなどは、住んでいる人には失礼かもしれないが、思いもよりません。 皆、低所得者としての生活に諦めがでてしまっている証なのだろうか、貧富の差が大きいアメリカ社会のやるせない汚れです。
 
 少し話はずれてしまいましたが、彼女の実家は、通り向かいには、叔父、その隣には、祖母が住むという人口百人を少し超すジャーマン系の非常に小さな村で、この村は、全くの別天地です。 一番近くの町までも、車で一時間ほどかかります。 
 
 アジア系の人間をみるのは、この村では、テレビ以外では初めてかもしれないが、彼女の家族も含めて、皆、親切でした。 何もすることはなさそうな村だが、キャンプをしたり、山登りをしたりと、楽しいひと時を過ごすことが出来た。 特に、星が降るような空にむけて、キャンプファイアの火の粉が舞上がる中、共有した彼女と二人だけの空間は、今でも心に残る大切なワンシーンである。 彼女が通った小中学校にも行きました。 彼女は、村が小さかったため、小学校から高校まで同級生がいなかったそうです。 それゆえに、たとえ数百人という小さな大学でも、彼女にとっては、刺激のある世界だといいます。 

 一週間という時期は、あっという間にすぎ、夏休みにまた来ることを約束し、後ろ髪を引かれるようにして、ポンコツのプロペラ機に乗り込む。 落ちないようにと祈りながら・・・。
 
 また、山積みになる宿題の合間をぬっての手紙と電話の連絡が始まる。 しかし、この遠距離恋愛も、長続きはしませんでした。 
 
 なんとか、期末試験を乗り越えて夏休みを迎えた時、自分には、二つの選択肢がありました。 アメリカの夏休みは、三ヶ月ほどあります。 
 
 選択肢は、最初の二ヶ月間は、日本食屋でアルバイトして、最後の一月に、アディを訪ねるか、最初の一月に、アディを訪ねて、残りの二ヶ月間をアルバイトに当てるかです。 自分は、たまたま、すぐにアルバイトが見つかったのをよいことに、愚かなことにも最初の選択肢を採用したのです。 
 
 刺激のある大学生活を終え、夏休みを迎えたアディは、楽しい仲間達と別れて、再び、退屈な村へともどっていった。 暫くの間はよかったのですが、一番年下の弟の面倒や祖母の看病という単純な日々の繰り返しは、彼女の心に不満の種を蒔いていったのです。 さらに悪いことに、彼女の車が、故障して少し羽を伸ばしてみたいと思っても、出来なくなってしまったこともありました。 彼女の欲求不満の雲は、大きくなっていくばかりです。 そんな、彼女の気持ちも、電話では聞いていましたが、どうしてあげることも出来ませんでした。 「謙は、何時来るの。」という質問にも、かわいそうだとは思いながらも「七月の終わりには行くよ。」という答えを繰り返すしかありませんでした。

 二ヶ月のアルバイト後、再び、悪夢のプロペラ機に揺られて、エルキンスに向かいました。 空港には、変わらないアディが、バスケ部の女友達と一緒に迎えに来てくれていました。 
 
 今回は、三週間程、エルキンスで、夏休みの最後の一週間を、彼女の実家で過ごすことになっていた。 エルキンスでは、半年前の語学研修の時のように、二人で楽しく過ごしました。 時には、彼女のバスケ部の仲間達と一緒に、小さな町の夜に繰り出したりもしました。 今では、アディの膝もすっかりよくなって、夏期トレーニングにもしっかりと参加していました。 夏休みの間、女子寮は改修ということなので、アディは、バスケ部の友人のアパートで暮らしていましたが、自分が、モーテルに宿をとると、何度かは、夜を一緒にしました。 ただ、荷物などを友達のアパートに預けてあるというので、週に一度か、二度は、彼女の友達のところに戻って行きました。 女友達の所ということであまり気にしていませんでしたが、それが、大間違いだったと知らされたのは、ニューヨークに帰る前の日でした。
 
 最後の夜を、春休みにキャンプファイヤーを楽しんだ場所で、二人きりで過ごしました。 空には、以前の時よりも、数多くの星が見え、アディと一緒にいると、心がふと温まり、豊かな時間をいつまでも共有したくなりました。  明日、帰るのは、非常に辛いなどということを、アディに語ると、暫くの間、キスを交わした後、アディは、体を離し、自分の手を握った。 
「話さなければならないことがあるの。」 
このようなセリフは万国共通、いいことのはずはない。 
「今、付き合っている人がいるの。 愛しているの。」 
 何かのドラマで聞けそうな三文セリフである。 ほとんど二人で夏休みを一緒に過ごした自分としては、何時その恋人と一緒にいたのか、理解できませんでした。 もし、自分が、その恋人の立場だとしたら、他の男と一緒に居ること自体許さないだろう。 自分は、あるがままの疑問を訊ねました。 
「いつも、一緒にいたのに、何時、その彼といたんだい?」 
「彼じゃないの。 彼女なの。 謙も会ったことあるわ。 夏休みの間、私をアパートに泊めてくれて、私の荷物も預かってくれている人。」 
「・・・・・?」 
「謙が、なかなか来てくれない夏休みの間、バスケ部の仲間がね、遊びに来てくれたの。 その時に、私の不満とかを聞いてくれて、そのまま、彼女の優しさに惹かれたの。」 
「・・・・・」
正直な話、何と答えたらよいのか分かりませんでした。 自分の彼女が、レズになった? マジか!
「謙のことも大好きだけど・・・」
最初に自分の口をついて出た言葉は、非常に間抜けなものでした。 
「そう、彼女ができたのか。 でも、自分は、彼氏でいられるのかな。」 
今考えると、アホかお前は、と言いたくなってしまう。 もちろん、彼女の答えは、ノーです。 
「ステディは、一人しかいないの。 ごめんなさい。」 
ステディ? 恋人という意味らしい。 自分には、どうすることも出来なませんが、不思議なことに、恋敵が女性ということで、何の嫉妬心もわかないのです。 
 
 アメリカで最初のカルチャーショックに襲われた自分は、茫然自失のまま、ニューヨークへの帰路に着きました。
 
 ニューヨークのアパートに戻った時になって初めて、彼女を失った悲しみが、わきあげて、たまらず、東京にいる大学時代の親友に電話をかけました。 日本との時差は、十三時間。 おそらく、日本時間では、夜中の三時を少し回っていたのではないかと思う。 彼は、卒業後、パナソニックに就職していて、この時は、まだ、研修生寮で暮らしていました。 
 電話口に出た彼の声は、まだ、半分寝ているようでした。 悪いとは思いましたが、自分は、これまでの過程を、三十分間にも渡り、えんえんと話しました。 その間、彼は、ただ、うんうんと聞いているだけでしたが、話が、一息ついたところで、やっと彼は、一言、口にしました。 
「あの、すいませんけど、どちらのケンさんですか?」 
「え!」
「間違い電話だと思うんですけど。」 
寮なので、部屋ごとに、下四桁だけが違うのでした。 深夜に起こされ、訳の分からぬ話を聞かされた彼は、丁寧にも、大介の番号を教えてくれたうえに、最後には、あまり気を落とさないようにとまで励ましてくれました。 この場を、借りて改めて深夜に起こしてしまったお詫びとお礼を言いたいです。 本当に、疲れている所を起こしてしまい、申し訳ありませんでした。 もちろん、大介の番号を手にした自分は、早速、大介に電話をかけて、間違い電話のことを話した後、同じことをえんえんと聞かせました。 この時には、間違い電話のことで、自分も笑ってしまって、アディを失った悲しみは、ハプニングの影へと隠れてしまっていました。 持つべきものは、やはり友、そして、友の友・・・。
 
 この後、知ったことですが、アメリカでは、バスケやソフトボールなどの運動系の女の子には、レズが多いということです。 それから、ゴルフ。 ちなみに、アディは、ソフトボール部にも所属していました。 
 
 自分達は、別れた後も、時々、手紙で連絡はとりあい、一度は、例のサンクスギビングのディナーにも呼ばれ、彼女の実家にも行きました。 お互い、友人として、久々の出会いを喜こびました。 その時には、自分の恋敵とは、別れていて、新しい恋人と一緒になっていました。 もちろん、お相手は、女性です。 

 以来、彼女とは会っていないが、サンクスギビングのディナーは、別離によって出来た垣根を取り除けてくれ、より親密に連絡をとりあうようになりました。 彼女の話では、その後、教会に行く機会が増え、自分の性(レズ・バイ)について、非常に思い悩むようになり、ストレートに戻ることを決意したそうです。 

 今後の幸せを、心からお祈りしたい。
いやー、久しぶりですね。
まだ、次の映画の仕事の予定が入らないので、日々、単調に暮らしています。
なるべく、だらだらしないようにと、仕事が入るまではと、禁酒も始めました。
どれだけ続くことやら、、、
さて、昨日、住んでるマンションに、泥棒さんが入りました。 いやー、びっくりです。
共同施設にあるコンピューターや、HDプロジェクターなどが盗まれ、セキュリティカメラの映像を保存するコンピュータールームのDVRも盗まれました。 
犯人は、マンションの電子キーももっており、セキュリティカメラのことまでしっているので、内部犯行ではないかということです。
とりあえず、誰も怪我人などはなかったのでよかったですが、ちょっと気持ちのいいもんではありませんね。
でも、今、滞っているシナリオのネタになるかななんてことも、考えています。 
あ、サルサに行く時間です。 この前、こちらに来た時に、初めて付き合った女の子から、結婚したという連絡が来ました。 一時は、レズになった彼女とのことを書きます。 お楽しみに。
ご無沙汰です。
前回の映画撮影が終わってから仕事のオファーがなく、はや二ヶ月が立ちました。
何人かのクライアントが、海外で仕事をしていたり、僕が低予算から大きな予算の映画への移行期であるといこともありますが、照明のフリーとしてもう十三年ほど経ち、これだけ仕事の話がないと少し自信をなくします。
参りました。
しかし、困ってばかりは、いられません。 何かあるのは、すべて次へのステップのため。 
こう信じ、自分を励ますのは、僕だけでしょうか。
照明の仕事を待つのではなく、自分の映画をつくるという原点にもどり、脚本をもっと書き、自分でそれを売りこみ自分で、仕事を作り出す時だと考え、余りある時間を新しい脚本を書くのに費やすようにしています。 
ただ、家にいると、ベッドの呼びかける昼寝の誘惑があるので、スターバックスに行って、外の空気を吸うようにしています。 心の働きって不思議ですね。
また、今とっているサルサのクラスは、ストレス解消には、最高です。 
このブログもそうですが、どんな形でも、人とのつながりは、心を慰めてくれますね。
僕と同じような気持ちを持っている人に読んで欲しい言葉があります。
アメリカに渡った時に父がくれた言葉です。

慢心した時は、上を見ろ。 上には、上がいる。
辛い時は、下を見ろ。 下には、下がいる。

手紙に書かれた文字はかすれていますが、この言葉は、しっかりと胸に刻み込まれています。
早く自分の映画を見せられるようにするのが、何よりの親孝行と思い、頑張ります。
今日は愚痴ばかりになりましたが、勘弁してください。
では、また。