ダークダックス館林音楽館です。
急遽で申し訳ございません、明日12/10(水)は、ボランティア急病のため休館いたします。
何とぞご理解のほど、よろしくお願いいたします。
ダークダックス館林音楽館です。
急遽で申し訳ございません、明日12/10(水)は、ボランティア急病のため休館いたします。
何とぞご理解のほど、よろしくお願いいたします。
皆さまこんにちは、ダークダックス館林音楽館でございます🦆
もうすぐダークは、結成から74年の誕生日を迎えます。1951年のクリスマス・イブ🎄慶應義塾ワグネル・ソサィエティのクリスマスパーティーの余興から、ダークの60余年に渡る歴史が始まったのは言うまでもなくですが…
その長い長い道程には、ダークを応援し、愛し、共に歌ってくださった世界中のファンの皆さまのみならず、後援会・音楽・舞台・メディア・企業と、実に幅広い世界の皆さまのバックアップがあったことも忘れられません。
ダークの60余年の活動。それはどんな方々が、影に日に支えてくださっていたのでしょう。ダークの60年の歩みを振り返りながら、ちょっぴりご紹介してみることにいたします。
日本のテレビ黎明期の名司会・ミュージシャン、"チャーさん"こと、小島正雄さんとの出会いがなければ、彼らの活躍はありませんでした。日本人が歌う本格的なジャズコーラスを探していた小島正雄さん。ラジオから流れてきた彼らのハーモニーに魅了され、慶應大生だった彼らを探し出して、プロデビューを実現させたダークの"産みの親"です。これは早世した小島正雄さんの、大変貴重な自署。
児童文学の大家・藤田圭雄さんは、初期のリサイタルの作詞を手掛けてくださり、後援会の発起人の一人でもありました。ご家族そろってダークの大ファン、お孫さんである脚本家・俳優の岩瀬顕子さんは、かつてマンガさんのペンション「アドリブ」でアルバイトもなさっていたそう。
自称ダークの"PTA会長"・画家の谷内六郎さん、音楽館に飾られている「花のメルヘン」の大きな絵は、今でも大切なダークの宝物です。
ブルー・コーツのリーダー・小原重徳さん、シャンソン歌手・石井好子さん、ジャズシンガー・ペギー葉山さんと旗照夫さんは、デビューしたてのダークが、有名歌手のバックコーラスや、進駐軍キャンプのナイトクラブで歌っていた頃からの、一番古い仲間の皆さま。
その飯沢匡さんの紹介で、作詞家・サトウハチローさん、作曲家・服部良一さんとの交友が生まれます。服部良一さんは、当時フランスに留学していたご子息・服部克久さんのことを、ダークへ「よろしく頼む」とよく仰られていたとか。ここから、ダークサウンドの一番のブレーンであり、生涯の親友となる服部克久さんとの出会いに繋がっていきます。
作曲家・中田喜直さん、作詞家・保富康午さん、タレント・黒柳徹子さんは、三人揃ってのご記帳。黒柳徹子さんが芸能界を志した、一番最初のきっかけであったと伝わるのは、銀座で観覧した、芥川也寸志さん作曲の人形劇の舞台だそう。その舞台でコーラスをしていたのが、まだ学生時代だったダーク達だったというのですから、縁というものは不思議ですね。ダークは黒柳徹子さんを"チャック"と呼ぶことが出来る、数少ない先輩のひとりでもありました。
芳名帳から紐解くダークの歴史。ちょっとお話が長くなりそうです、続きは次回のお楽しみといたしましょう🦆🦆