ダークダックス館林音楽館

ダークダックス館林音楽館

ダークダックス館林音楽館公式ブログです。
館内のご案内や情報を発信いたします!

住所:群馬県館林市堀工町1205-2
お問い合わせ:darkducks.museum@gmail.com
開館日:不定(ブログでお知らせ)
開館時間:11時~16時
取材のご依頼はメールでお問合せください

皆さまこんにちは、ダークダックス館林音楽館です。

児童文学作家・高木敏子さんを偲んで、発信させていただいている『ガラスのうさぎ』の思い出。3回目は1979年、ダークの23回目の、リサイタルのプログラムに綴られた、高木さんご本人や、この組曲に携わられた皆さまの言葉です。この組曲に寄せた思い、そしてあの戦争を乗り越えられた皆さまが、現代・未来へ残してくれた、大切なメッセージをご紹介します。かなり長い構成となりますが、じっくりとお読みくださればと存じます。

(一部要約、表記は原文のまま)

【高木敏子さん】
高木さんは1978年11月、NHKのスタジオでダークと初めてお会いになられたそう。収録後、ゲタさんが高木さんのもとを訪れ、『ガラスのうさぎ』の本をメンバーで読みたいので、送って下さいと頼まれます。そして…
~「高木さん、あの『ガラスのうさぎ』を私達で合唱組曲にして五月のリサイタルで歌いたいのですがご協力願えないでしょうか」とお電話を頂きました。私は驚きと喜びで胸が一杯になりました。「どうぞ是非お願い致します」とお返事致しました。

戦争を知らない世代の人々に音楽を通じて、戦争の無残さそして平和の尊さ、有難さを訴えることが出来たらどんなに素晴らしい事でしょう。あの三十四年前の悲しみ、憤りの暗黒時代が二度と再び訪れることのないよう、ダーク・ダックスの方々の歌声と共に、私は心から祈り続けたいと思います。


【ゾウさん】
ゾウさんは、戦争体験者として、歌手としての自身がやらねばならないこと、この組曲の歌い手としての使命を綴られました。
~昭和1ケタの私達は、戦争を身をもって体験した年代です。だから、子供達には戦争の悲劇をよりリアルに伝える事が出来、又伝えねばならないのですが、何故か遠い過去として、忘れてしまいたい気持になりがちでした。

“ガラスの兎”、紙上で小学生の感想文を見て、新たな感慨がわきました。もっと純粋に素直に、我々は戦争の事実を語りかけてやらねばいけないのです。“ガラスの兎”を組曲として歌えることの意義をかみしめ、色あせることなく、多くの合唱団によって歌われることを願いながら、高木さんの伝えたい気持に少しでもプラスになる様、歌っていくつもりです。


 【杉紀彦さん】
杉さんは、ご自身の戦争体験と重ね合わせて作品を構成されたこと、そして戦争を知らない現代の人々へ向けた、原作と組曲の持つ強い意味を綴って下さいました。
~自分自身の戦争体験(そのころぼくはまだ幼児でしたが)を、少女敏子の体験にダブらせて、それを詩的に増幅してみようと言う事でした。そうして眺めてみると、『ガラスのうさぎ』は、一つのハッキリしたイメージを持って来ました。たとえばそれは……

『生きる事は別れる事だ』と言った様な印象です。少女敏子は、戦争のために、友達と別れ、家族と別れ、母や妹と別れ、父と別れて生きる事を余儀なくさせられます。そして、これらの別れは、仮に戦争がなくても、多かれ少なかれ、だれもが体験することです。生きて行く為に――。

と言う様な事が、戦争を知らない世代にも理解出来るならば、『ガラスのうさぎ』の持つ価値はもっと大きくなるはずです。服部克久さんの流麗な旋律にのって、音楽作品としての生命を得た『ガラスのうさぎ』は、哀愁に満ちた少女の別れの一コマ一コマを描き乍ら、その奥深いところで、ハッキリと何かを告発する事でしょう。


【服部克久さん】
終戦当時、小学生だった服部さん。ご自宅からも見えた大空襲の真赤な空、そしてこの組曲の作曲者としてのご姿勢が綴られています。
〜3月9日の大空襲の事は今でもはっきりおぼえていて、家の有った、吉祥寺から、本所、浅草までは、直線距離にしても、相当、あるのに、東の空が一面に、真赤で、裏の家の白かべに、赤々と照り映えていたのを、昨日の様に思い出します。

あの頃は、本当に、身のまわりの色んな方が沢山、亡くなられました。しかし、その頃にしても、高木さんの体験は、一寸、言葉では言い現せない悲さんなもので、この間、はじめて、お目にかかった時に、明るく、サバサバとしておられたのが、いくら、年月がすぎたとは言え、感服して、曲作りの上で、すごく参考になりました。

とにかく、実際の体験を、音にする訳ですから、あまり、ふくらませ過ぎてもいけないし、事実だけが、持っている重みは、ひしひしと伝わって来るし、とにかく一生懸命、作りました。


 
いかがでしたでしょうか。高木敏子さんを偲んで、3回にわたって合唱組曲『ガラスのうさぎ』の思い出を発信させていただきました。

最後に、昭和60年「NHK歌謡ホール」での、司会の生方恵一アナウンサーと高木さんとのやり取りをご紹介して、音楽館からの追悼のメッセージとさせていただきます。
「NHK歌謡ホール」台本(渡邊幹代さん所蔵)

《生方アナウンサー》高木さんは、この大空襲の後、お父さまを…二宮の駅で…機銃掃射で…目の前でお失くしになるわけですけども…40年、戦後を生きてらっしゃって…今またあらためてお感じになってることが、沢山あると思うんですけども…

 《高木さん》皆さんにお願いがあります。戦争中の子どもは…生きたかったのに…殺されていったんです。ある者は、炎に焼かれ…ある者は、飢えて…食べるものが無くて死んでいったんです。

この頃のお子さんの中には、苦しいから、悲しいから、つらいからといって、自ら命を絶ってしまうお子さんがあります。亡くなっていった…戦争中に亡くなってしまった子供たちのためにも…生きていただきたいんです。

お願いします…それが何よりも、亡くなっていった人たちへの供養だと思うからです…どうぞよろしくお願いいたします…


…ご冥福をお祈り申し上げます…

 


 こんにちは😀ダークダックス館林音楽館です🌜


 2026年9月の開館日は以下のとおりです!皆さまのお越しを心よりお待ちしております🦆🦆

※日にちにより、開館時間が異なります

※都合により急きょ休館となる場合があります。その場合は公式ブログ・公式X(旧・Twitter)にてお知らせいたします。

 お越しの際には事前にご確認くださいますよう、よろしくお願いいたします。


皆さまこんにちは、ダークダックス館林音楽館です。


前回に続き、8月8日に旅立たれた高木敏子さんを偲び、高木さんの原作をもとに、杉紀彦さん構成・服部克久さん作曲・ダークダックスによって発表された合唱組曲「ガラスのうさぎ」の思い出をご紹介します。

【当時18歳だった渡邊幹代さん】

お話を伺うことが出来た渡邊幹代さんは当時、劇団若草に所属してらっしゃったそう。


昭和60年3月5日に放送された「NHK歌謡ホール」での舞台。ダーク4人と渡邊さんがハーモニーと朗読に乗せ、日本のごく普通の家庭の日常、疎開、空襲、死、そして希望…涙なくしては観られない舞台を創り上げられました。


放送後、全曲放送を望む声や、自分たちも歌いたいと希望される、全国の小中学生や合唱団体からの問い合わせが寄せられるほど、この放送は大きな反響を呼びました。


"完璧"と評しても良いこの舞台でしたが、そこには渡邊さんが語って下さった、とんでもないエピソードがありました。

「NHK歌謡ホール」の台本(渡邊幹代さん所蔵) 


…渡邊幹代さんからのお話…


~実は当初、別のお子さんの出演が決まっていたそうなのですが、生放送の時間帯(午後8時~)の出演が労働基準法(15歳未満の午後8時以降の不就労)に抵触することが発覚し、急遽出演できなくなるというアクシデントが起きたのです。


そこで急遽、放送当日に当時18歳だった私ともう一人がスタジオへ呼び出され、その場で初めて台本を渡されて読みのオーディションが行われ、急遽私が選ばれることとなりました。

【台本には渡邊さんとは別のお方のお名前が…】


そのため、事前の練習や合わせなどは一切なく、文字通りの「ぶっつけ本番」でした。ダークダックスのメンバーの皆様や、原作者の高木敏子先生とも、まさに本番のあの瞬間に初めてお会いしたのです。


そのような極限の緊張感の中、メンバーの皆様が温かく迎え入れてくださり、魂の歌声と私の朗読が奇跡のように共鳴してあの舞台が生まれました。杉紀彦先生や服部克久先生も含め、当時の皆様とあの一瞬を作り上げることができた時間は、私の生涯の財産でございます。(原文ママ)〜

【ダークのスケジュール帳 NHKには17時の"入り"】


何ということでしょう…合わせも何も無し、あの舞台上で初顔合わせ、しかも収録ではなく生放送という、イレギュラーだらけの状況で、あれだけの完成された舞台が出来上がるとは、やはり神様がいるのでしょうか…


あの「母さん!母さーん!!」の叫びは、何にも増して、命を奪われた、家族を引き裂かれた全ての人々の叫びを代弁している、そう感じざるを得ません。


音楽館でも年に数度、小さなコンサートを催しますが、毎度綿密に打ち合わせて、出演の皆さまもスタッフ陣も早朝から舞台づくりをきっちりやって、それでも終演まで、一瞬も気の抜けない時を過ごしますが、そんな事も一切無しに、NHKホールでのあの舞台…やはり全員がプロフェッショナル、だからこそ出来るものなのでしょう。


あらためて大きな感動と、出演された皆さま・スタッフ陣が、高木さんやこの舞台、そしてお聴きくださった全国の皆さま、何よりも戦渦に斃れた、数多の人々へ向けた強い思いを、40年近い時を超えて頂戴出来ました。


渡邊幹代さん、貴重なお話を本当にありがとうございました。


(次回は、合唱組曲「ガラスのうさぎ」へ寄せられた、高木敏子さんをはじめ、関係者が残したメッセージをご紹介いたします)