夫が亡くなってから
2年4ヶ月が過ぎました

亡くなった時 私は長男と話し合い
新聞のお悔やみ欄に載せることを辞めました

夫はまだ現役年代
多分 私達の想像を超える人達が足を運んでくださり きっと対応出来なくなるだろうから

生前 夫が年賀状のやり取りをしていた方の中から更に厳選して数人だけに連絡をしました

しかし 通夜・葬儀には私達の予想に反して
沢山の方々が列席してくださいました

どこで繋がりがあったのでしょうか
どなたが連絡をしてくださったのでしょうか

十数年前から途切れていた趣味の天文仲間が驚くほど沢山来てくださり胸が詰まりました

長男の職場の上司は御夫婦で
次男の上司は北関東から
駆けつけてくださいました

息子達は会社からのお花や
御霊前は辞退させて頂いたのですが
沢山届いてしまいビックリしました

夫が勤務していた会社の顧問や上司の方々は
夫が半年以上も前に自主退職をしたにも関わらず
遠方よりわざわざ足を運んでくださり参列してくださいました

自治会関係者 地域の皆様

私の友人 知人 お教室の生徒さん達

特に驚いたのは 神奈川県在住の友人が仕事を早退して駆けつけてきてくれたこと
年賀状やLINEのやり取りだけで約30年ほど会っていなかった友です

気丈にしていた私でしたが
その時だけは涙が滲みました

通夜の日も葬儀場に行かれないからと
自宅に弔問に来てくださった地域の皆様

参列してくださった方々に
丁寧に対応出来なかったことが
今でも悔やまれます

身内に『仕方がないよ』と言われましたが
こんな時だからこそ お一人お一人に
お伝えしたかったことがあったのです

暫くお会いしていなかった方達の事
時々私達夫婦の会話の中で
夫がよく話していた皆さんの話を
夫の気持ちや言葉でお伝えしたかったです
また今後いつお会い出来るか分かりませんから…

皆さん暫くお会いしていない間に
私も同じですが年齢を重ねてきました
時間がもっと有れば 許されるなら
積るお話をさせて頂きたかったです




夫の葬儀を終えた半年後のある日
福島県から車で私達夫婦の友人御夫婦が
わざわざ弔問に訪れてくれました

東日本大震災の時に被災された御夫婦でした

自分達が被災した時に いち早く連絡してくれた事が 凄く嬉しく とても心強かった 励みになったから いつか恩返しがしたかった…と
でも こんな形で再会することになるとは思わなかったと肩を落としていました

本当なら夫と福島に行く予定だったんです
当時ウチの次男が福島で勤務していたので
福島に在住している間に尋ねたいね…と話していましたが叶いませんでした

福島の友人が尋ねてきてくれた数ヶ月後の
初盆前の8月初旬に 名古屋在住の夫の上司御夫婦が 尋ねて来てくださいました

夫の上司は通夜の時に
列席してくださった方のお一人です
また闘病中にも御夫婦でお見舞いに来てくださいました

闘病中には御主人手造りのらっきょう漬けを『酢の物は体に良いから』と持って来てくれました

初盆前に来られた時にも『お供えしてあげてね』と 大きな瓶に入った手造りらっきょう漬けを頂きました 目が潤んでしまいました

夫が好きだった方達は皆さん優しい方ばかりです


その後初盆の当日や前日 後日にも
私の夫が亡くなった事を後から知った
夫や私の友人達が次々と弔問に来てくれました



それから2年も過ぎて一昨日のこと

以前お会いしてから15年ぶりくらいになるでしょうか…風の便りで私の夫が亡くなった事を知り
ビックリして連絡をくれました

子育てサークルで知り合い
お子さんが大きくなった時に子育てサークルのボランティアをしてくださった方で
友人ほどでもないため疎遠になっても不思議ではない方です

久しぶりにお会いしたのですが以前と変わりなく沢山お話しすることが出来ました
とても嬉しかったです



夫が亡くなって改めて大切な人達との繋がり
沢山あったんだなぁって 気づかせて頂きました



新聞のお悔やみ欄には載せなかったため
今でも夫が亡くなった事を知らない方は
沢山いらっしゃると思います

夫が他界した事を知り
今でも訪ねて来てくださる方がいる


『私達は皆に好かれていたんだね 幸せだったんだってことを 皆んなが気づかせてくれてるね』
『まだまだ 頑張らなくちゃ!』




《ひとりごと》だんだん声が大きくなってるぞ!って遺影の夫は今日も笑っています


私が いま 日々笑うことができるのは
私を支えてくださる多くの皆様のお蔭です

心から感謝いたします