確かにバレンタインというイベント事は知っている。
毎年、どこかの菓子メーカーが定着させた2月14日は、帰りに荷物が増えて心持ち億劫なものだった記憶がある。
・・・少なくとも、昨年までは、だが。
都心を位置どる、高層ビルの一室で、御堂孝典は集中できない読書に耽るために努力していた。
というのも、会社から帰ってからずっと、克哉から無言の熱視線を送られて、苛立っているからだ。
十分と少し・・・我慢の限界が訪れたようだ。
「・・・いい加減にしてくれないか。さっきから人を凝視して、君は何が楽しいんだ!?」
苛立ちをそのまま彼にぶつければ、克哉は愉しそうに薄く笑った
「御堂さん、俺は別に視姦してるわけじゃない。見るくらい、構わないだろう?」
屁理屈だと思った。いつもなら黙っていろという言葉は聞かない彼だ。
(だいたい・・・口より体が先に動いている癖に。・・・・・・・・・私は何を考えているんだッ!!)
妙な考えに思い至り、御堂は赤面する。
「~~~ッ!君がそんなにおとなしいタイプなわけないだろう!言いたい事は何だ!早く言えっ!」
一気に捲くし立てたところで、バサリと目の前で音がした。
「Happy Valenite・・・御堂」
差し出されたのは、赤い薔薇の花束だった。
表情を崩そうとしないのは、照れているからなのだろう。頬に朱が差している。
「・・・腕が疲れるから、早く貰ってくれないか」
「あ、ああ・・・すまない」
克哉から花束を受け取り、御堂の腕に収まった鮮やかな花弁からは豊醇な甘さが香ってくる。
彼がこれを買う姿を想像して、ほんの少し御堂の口元が緩んだ。
「ありがとう・・・。まさか君からこんな計らいがあるとは思っていなくて・・・・・・驚いてしまって」
途切れ途切れの言葉は単純に嬉しさを伝えるものだった。花束に顔を埋めようとするのは、御堂もまた頬が熱いのに気づいているからだった。
照れてしまい言葉が上手く出ず、もどかしい思いがする。
「それだけじゃないぞ」
克哉は白ワインと綺麗にラッピングされた箱を見せると、ようやく不敵に笑ってみせた。
「バレンタインだから、チョコレートは必要だと思ってな」
「マカダミアナッツにドライフルーツ、か。しかしこの時期に君が店で並んでいるのを想像すると・・・ぞっとしないな」
口に一粒放り込み、御堂はビターな味わいを楽しむ。
「・・・嫉妬か?まぁ、並んではいないぞ。インターネットで買ったからな」
それもそうか、と納得する。しかし仮に女性で賑わう店で並んでいたとしたら、本命そっちのけで彼に見蕩れる客が居るだろうと容易に想像できた。
(しかし・・・もしそうなっていたら。・・・本当に気に入らない)
例えそれが、自分の為だとしても。
テーブルにワインとチョコを並べ、静かな時間が流れていく。
チョコは控え目な苦みで、甘口のワインに程好くマッチした。
「・・・ところで御堂」
「何だ?」
ほろ酔い加減で多少気分が良かった。なにしろ、克哉からの唐突なプレゼントが嬉しかったのだ。
だからこそ、克哉がソファーを立ち、わざわざ隣に腰かけてきても、気にはならない。
むしろ・・・。
「俺はせっかちなんでね。今からホワイトデーのお返しをもらっていいか?・・・もちろん、あんたで」
「ンんっ!?」
首筋を指先がなぞるだけで、声が上がる。
その反応を了承ととらえたのか、克哉はフッと笑ってから御堂に触れるだけの口づけをして、離れた。
「いや、か?」
確認するような声は、ひどく優しい。
「………君は、意地悪だ」
睨もうとして失敗し、潤んだ眼が克哉に投げ掛けられた。御堂は克哉の手を取り、頬に当てる。
「わかっているのだろう?君は・・・私の答えなど」
「言葉で聞かなければ、不安になるだろう?」
嘗て彼に放った言葉を出され、意地の悪さを再確認する。
唇を引き結び、それから御堂は克哉の耳元へ顔を寄せる。
「嫌なんかじゃない。・・・好きだ、克哉」
今宵の恋人達に、チョコレートよりも甘い一時を・・・。