松本サリン事件発生から26年が経過しようとしている。平成6年と言えば、
 
 4月23日 井の頭公園バラバラ殺人事件
 4月25日 新宿パークタワー竣工
 4月26日 中華航空墜落 名古屋空港
 6月27日 松本サリン事件
 6月30日 社会党村山富市首相就任
 9月 4日 関西国際空港開港
10月 2日 アジア大会開催 広島市
10月 3日 TBSビックハット移転
10月 8日 大阪愛知岐阜連続リンチ殺人
11月 6日 ナリタブライアン三冠
11月22日 セガサターン発売
12月 3日 プレイステーション発売
 ※ 21年ぶりに出生数が大幅に増加

 バブルが崩壊していたとは言え、まだまだ超高層建築がポツポツ建っておりました。前年から始まった就職難が更に悪化し、採用面接は、ことごとく落ちまくりました。この頃は、まだ出生数が増えており、バブル崩壊から経済立て直しが最優先され、新採用を抑制することで業績を立て直そうとしていました。政府は、何ら対策を講じなかったため、失われた世代が生まれ、現在の少子高齢化に繋がることとなります。この時、何らかの対策を講じていれば、今と違う世の中になっていたかもしれません。
 
 当時のマスコミは、被害者である河野義行さんを犯人として、連日連夜、大々的に報道しました。私も、最初、河野さんが犯人だと思っていました。当時、サリンという毒ガスは知られておらず、松本ガス中毒死事件→松本農薬中毒事件→松本有毒ガス事故と2転、3転しています。7月3日、有毒ガスがサリンであることが判明した。にもかかわらず、河野さんへの容疑は晴れず、翌年1月に阪神淡路大震災、3月に地下鉄サリン事件が発生し、ようやくオウム真理教による殺人事件ということが認識されるようになります。

 さて、松本サリン事件を知らない人に概要を紹介すると、平成6年(1994年)6月27日午後10時40分ごろ、長野県松本市北深志1丁目の住宅街で、オウム真理教の幹部らが猛毒のサリンをまき、8人が死亡、約600人が重軽症を負った。教団関係の訴訟を担当していた長野地裁松本支部の裁判官官舎を狙ったとされる。発生後、第1通報者の河野義行さんを犯人視した警察とマスコミが、批判を受けた。元教団幹部13人のうち、松本智津夫(麻原彰晃)元死刑囚を含む7人が事件に関与していた。
 
「松本サリン事件の被害とは」2010年
 平成22年(2010年)11月、犯罪被害者週間国民のつどいにおいて、被害者である河野義之さんの講演が行われている。当時の生々しい事件の様子、犯人に仕立て上げられるまでのマスコミの対応。松本警察の取調べ、弁護士の奮闘、松本市長の先進的な対応、同じ被害者である妻との別れ等、長男の奮闘等、衝撃の真実が語られています。

映画「日本の黒い夏 ー冤罪ー」2001年
撮影は、北深志周辺で行われ、川野宅も使われたという。上記講演と内容はほぼ一致しています。警察とテレビ局とのやり取りが本当がどうかは分かりませんが、ほぼ事実か?サリンを巻く様子、被害者を消防隊が救出する様子が生々しい。
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当時の事件現場を回顧した記事
「ニュースの現場」
「新日本DEEP案内」



Googleマップでは、河野さん宅と思われる自宅にマスキングがかけられている。