20XX年のわたしに書き溜める。




2020年の正月にめずらしく前日予約で行った温泉旅行がもしかしたら最後の家族旅行になるかもしれないなんてあのときは思いもしなかった。





2019年の末あたりから中国の一部で感染症が流行っているという話はニュースで聞いていた気がするけど、旅行に行ったり普通にお正月を迎えたわけだからよくある局地的な感染症で日本には来ないだろうと思っていたんだろう。






2月の頭に会社の周年行事があって、マスク着用を勧める形で行われたけれど、そこまで厳密ではなくて、どちらかというと海外と行き来がある人達に限られていたような空気があった。従来よりテレワークを推進していた友人の会社はそのときすでにテレワークに入っていた気がするけれど、かなりまだ珍しい働き方だったと思う。(そう、決まった時間に満員電車に乗って会社に行くのは当たり前だった!)






そのあと数週間後、2月の末に3月からの学校一斉休校が決まった。娘は小学校1年生の終わりから今現在、学校に行くことが出来ていない。その日から1か月ほど、わたしは娘の弁当作りをすることになった。就業で止むを得ず一人ぼっちになる児童は学校の自習室で預かってもらえるのだが、これがなかなか厳しかったらしく、私語厳禁の拷問のような時間を一日中すごしたらしい。





あれよあれよという間に深刻化していって、この頃にはすでに国難がはじまっていた。マスクや消毒液などの衛生用品は品切。まったく手に入らなくなった。マスクを手に入れるために朝早くからドラッグストアの前に並ぶ姿も見られるようになった。わたしは通勤があったため早くから無理とあきらめて布マスクを作りはじめた。その後、他国のロックダウン(都市閉鎖、このとき初めて聞いた言葉)を受けてトイレットペーパーなどの日用品の買い占めが行われるようになった。







騒ぎを知ってもなお、海外からの帰国者が増え続けた関係で(わたしは卒業旅行が怪しいとおもうる)、ヨーロッパからの帰国者を介して感染者が増え続ける形となった。とはいえ、実際のところは東京オリンピックの開催を控えていたために検査数を操作していたのだから国内におけるコロナパニックは感染者数の公開と比例している。






その後、3月末に東京オリンピックの開催は来年に延期されることになった。延期が決まった途端、感染者数が日に日に増えていったのが決定的となり、4月の初旬には非常事態宣言が出された。これにより、わたしの仕事も在宅勤務に移行することになった。会社はのんびりと構えていたけれど、こんな事態でいつまでも学童保育に通わせ続けるほど緊急の仕事ではないので自分から申し出ると、フロアで1番最初に移行することになった。最悪休業させてもらえばよいと思っていたが、結果的に15人ほどいたフロアに2人の管理職を除いた社員がテレワークに移行した。会社全体だと7割は在宅勤務となった。






在宅勤務というのは往復2時間(!)の通勤時間がないので時間に余裕があるが、目の前に積まれた家事タスクや休校中の娘の教育もしなければならず時間に追われたあの日々もなかなか大変だったが、こちらもこちらで大変だ。仕事らしい仕事にならないときもあった。慣れの問題か、やむを得ないことかわからないが改善の余地はあるだろう。






約1か月の在宅勤務のあと、恒例のゴールデンウィークに入った。例年に比べると移動範囲の最も少ない連休である。





ここまでを前置きとして、このように時代が大きく変わる真っ只中にわたしはいる。コロナウィルスという伝染病によって、地球上の全人類が恐怖を抱きながらこれまでの生活スタイルやそれに伴う考え方までごそっと見直しを迫られている。





いままで「正しい」「スタンダード」「あたりまえ」とされてきたものが大きく揺さぶられている。





通勤に往復2時間以上かけたり、
いつも慌ただしく一日が終わり
疲れ果てて眠る毎日とか、
ワンオペとか、
休みとなればとりあえず外に行かないといけないような気がすることとか、
普段家族との関わりが薄いから確認するようにキャンプをしたりとか
やる必要ある?と思いながら周りに合わせてやる無駄な仕事とか
結局は需要メンバだけであらゆることが決まっていくつまらない会議とか…





いままで忙しくて立ち止まって考える必要がなかったことを宇宙規模であらゆる活動をシャットダウンされたから考えざるを得ない感じ。






なにもしないゴールデンウィークも最終日を控えると、なにもしないことへの違和感も薄れてきた。






この時代にこの国を選んで生まれてきたわたしは、きっとこの時代の移り変わり、人間の営みの体験を最大限味わいたかったんだろう。いままで正とされてきたものがまったく通用しない状態を見るために。例えば等価交換を容易にするために生まれたにも関わらず、こんなにも力を持ち人を惑わせ、格差を生むツールと化した紙幣の衰退を見るために。






わたしはどんな新しい世界を生きるのだろう。






完了