気がつけば年も明けてすでに6日が経ち、最後にブログを書いたのは一体いつだったのかと思い出せないほどの時間が過ぎている。
インスタはちょいちょいアップしてるからそっち見てる人は「おお、まだ生きてるわ」って思ってくれてはるはず。
とにかく家族4人しっかりとここ常夏の島で生きてます。
コロナ禍のロックダウンに伴う現会社の休業期間中、心の健康管理というかモチベーション維持の為にこのブログを書いてたので仕事が戻った今は中々文章を綴れずにいた。
とは言え、せっかく始めたものをほったらかしとくんは勿体無いなと思いまたまた駄文を少々、、、
この島に移住目的で渡航して来たのはちょうど8年と一月前。
2012年の12月4日。
過去に何度も旅行で訪れていたヨメはんとは違い、僕と子供達は右も左もわからへんまったくはじめての地。
大阪の住まいや家財道具全てを引き払い、僕とヨメはんと二人の娘(当時上は4歳なりたて、下は1歳と10ヶ月)の4人。
バックパック2個、スーツケース1個それとボストンバッグが2個、これが僕ら家族4人の全荷物。
仕事はどうするのか?住むとこはどうするの?、っといった具体的な事を全く決めてないというか決められない僕は(ヨメはんは相当色々考えて行動してた)、過去にアメリカに住んでたとは言え日本に帰国してからすでに18年、正直なとこ英語力もだいぶ落ちてたし、日本でも家業を継いでたから仕事なんか探した事ないのにそれを海外ではじめてするなんて、、、、
10代での経験があるおかげで海外やからとか、言葉が通じひんからとかで臆することは殆ど無いんやけど、生来の無精な性格のため、なにせめんどくさがり。
自分の興味ある事以外は何や流れで上手いこといってくれたらええなぁ〜ぐらいにしか思ってへんダメなやつの見本みたいな俺。
それでも一応就職活動するために履歴書なるものを英文で作り、って言いたいとこやけど、ほんまのとこはシンガポールで外資系企業に勤めてる弟分に頼んで作ってもらったww
それを持ってシンガポールの天ぷらやに行ったり海外専門の求人サイトにアクセスしたりしたけど、一緒にシンガポールに行ったヨメはんが「ここは今の私たちの住む場所ではない」なんて言うからシンガポールでの就職は一旦諦めた。でも、もちろん島に戻ったところで早々仕事なんかあるはずもなく、就職活動もそこそこやってる振りだけして南国暮らしをエンジョイしてたら、あっと言う間に渡航から3ヶ月ほど経ったある日ヨメはんから
「大ちゃん、来月にはうちの全財産が3万円ほどしかありません」
っと衝撃(笑撃)の告白を受けた。
一人ならまだしも家族4人でそれも海外で持ち金3万てww
大阪から岡山あたりに旅行行って家族4人で3万しかないっていうても相当心細いのに、、、、
そんなこんなで急遽いきなり突然腹を括らなしゃーない状況になり、僕一人で日本に帰国、そして地方での住み込み季節労働を2〜3ヶ月してはお金を作り、1ヶ月ほど家族の元で過ごしたらまた日本に飛んでの繰り返しをそこから1年半ほど続けた。
1年半の内に6回ほど往復したかな、、、
あ、そう言えば演奏の仕事で一回韓国にも行ったような。
ちなみに3万しかありません告白は、3ヶ月遊び呆けて全く働く気を見せない僕をやる気にさせるためのブラフだった事が数年後に発覚ww
「よう考えてみ?海外で3万しかないとか、そんな訳ないやん!笑」とヨメはんから言われた事も付け加えときましょう。
そんでその季節労働の間に、飲食関係の友人知人に頼み込んでそれぞれのお店で修行さしてもらったりもしてた。
寿司屋、焼き鳥、鶏肉卸しで鳥の捌き、鉄板焼、居酒屋、、、、
どこのお店も1週間だけとか、飛び飛びで大阪おる時だけとかの、はっきり言うて邪魔でしかないのに快く引き受けてくれはって、技術もレシピも惜しみなく教えてもらい、その上押しかけで行ってるにも関わらずバイト代まで出してくれはって、、、ほんま感謝しかないです。
(正直言うてこの経験がなかったら今の仕事も全然ものにでけへんかったんとちゃうかなぁっと思うぐらい貴重な時間やった。)
っで、そうこうしてる内にこの島に来てから知り合ったシェフ友達から今の職場を紹介され、1年半に及んだ逆輸入出稼ぎ労働に終止符を打つ事が出来たのでした。
っと、今日はここまで
ps、
3万しかない告白を信じ切った背景には、数ヶ月分のビザ代、学費、家賃(一年分)、バイク、家財道具一式の支払いがすでに済んでいた(全てヨメはん持ち)ため、まんまと信じ込んでしまったのでした、、、