オーディオ
青い海の向こうに浮かぶあの島は、遠く、そして暑かった。
足代わりにと自転車をレンタル。
実に、十数年ぶりのサイクリングだ。
前回どこで乗ったのか、全く思い出せない。
地下鉄での移動が当たり前の東京から、電車のない東京へ。
八丈島は東京都に属する島。
船旅を経てたどり着いた、海の向こうに浮かぶ
もう一つの東京は、全くの別世界だった。
道行く人はまばらで、車の数も少ない。バスは1時間に1本。
通勤ラッシュとは無縁の楽園には、青空が広がっていた。
どこからともなく、サザンオールスターズの歌が聞こえてくる。
“オーディオ”が奏でるサウンドは、どこでも一緒らしい。
やはり、海にはサザンの曲が似合う。
話を自転車に戻そう。
風邪を切って走る爽快感が、少年の日々を思い起こさせる。
だが、島の自然は、人の侵入をたやすくは受け入れてくれない。
炎天下の中、生い茂る樹木の他には、
日光をさえぎるものは一切なかった。
灼熱の太陽が、体力を徐々に奪っていく。
目指すのは、「登龍峠」と名付けられた難所。
峠までの道のりは天に登る龍のようにうねり、
旅人の行く手をはばんでいた。
急な坂を登り、角を曲がると、次の坂が待ち構えている。
いつ果てるとも知れない龍の坂道を前に、途方に暮れるしかなった。
そう、いつだって、人生の旅路には終わりなどなかった。
心の中の”オーディオ”が、懐かしい曲を奏で始める。
= =
もうすぐ雨のハイウェイ 輝いた季節は
君の瞳に何を うつすのか
そして 僕は途方に暮れる
あの頃の君の笑顔で この部屋は満たされていく
窓を曇らせたのは なぜ
=そして僕は途方に暮れる=大沢誉志幸
無謀すぎたのだ。
都会生活に疲れきった体で、龍の背中を乗り越えようなんて。
太平洋に浮かぶ離島の神秘の獣が、気力までも奪っていく。
港から走り始めて3時間ほど経過したとき、
足元が急にグラついて、思わず倒れこんでしまった。
地震か、それとも、龍の“逆鱗”に触れてしまったのか。
周囲を見渡すと、特に変わった様子はない。
相変わらず、小鳥のさえずりが聞こえてくる。
どうやら、疲労のあまり、足に力が入らなくなってしまったようだ。
自転車を杖がわりにして、ようやく立ち上がった。
だが、ハンドルを握る手には、もう力が入らない。
もうこれまでか、と思ったそのとき、
心の中の“オーディオ”から、女神となったあの人の歌声が聞こえてきた。
= =
負けないで もう少し
最後まで 走り抜けて
どんなに離れてても 心は側にいるわ
追いかけて 遥かな夢を
=負けないで=ZARD
清涼感のある歌声に励まされ、
僕は気力を振り絞って進み始めた。
目の前の道の他には、何も見えない。
生い茂った緑の木々が、左右の視界をさえぎっている。
どのみち、周囲の様子に気を配る余裕などない。
しばらくすると、足取りが急に軽くなった。
足の感覚がマヒしてしまったのか。
それとも、完全に力尽きてしまったのか。
地面のアスファルトが、目の前に迫ってくる。
ここで倒れるわけにはいかない。
うつろな目をしながら、やっとの思いで顔を上げる。
すると、奇跡のような光景に、言葉を失ってしまった。
ここは一体どこなのだろう。
旅人の眼下には、八丈島を包む紺碧の海が広がっていたのだ。
頭上から降り注ぐ太陽の光には無力だった離島の森。
まさか、「登龍峠」にたどり着くまでこんな絶景を隠していたとは。
心憎い自然の演出に、思わず笑みがこぼれる。
旅人は、聖なる峠に一人たたずみ、爽やかな風に身を任せた。
だが、感傷に浸っている暇はなかった。もう、帰らなければ。
校長先生が言っていたではないか、
家に帰るまでが遠足だ、と。
迷いを振り切るかのように、旅人は自転車に飛び乗り、
龍の道を一気に下っていく。
決して振り返ってはいけない、そう自分に言い聞かせながら。
風に打たれながら海に向かう帰り道、またサザンの歌が聞こえてきた。
“オーディオ”が奏でるサウンドは、疲れた体にしみわたる。
出発地に戻った頃には、スタートから約6時間が経過していた。
たった一日とは言え、「登龍峠」に挑んだ友との別れは辛い。
断腸の思いで自転車を返却し、店内を見回すと、意外なものが目に飛び込んできた。
それは、右手のハンドルを軽くひねるだけでどんな坂道も駆け上がる、
人類の英知の象徴であった。
http://www.honda.co.jp/motor-lineup/dio/
“おお、Dio!”
自転車ではなく、Dioを借りればよかった。
酷使され、悲鳴を上げていた膝頭が、そう叫んでいた。
離島の夏は終わらない。