3日は一周忌。

なんだかんだで、早かった一年。
うん。
すごく早かった一年。

11月に亡くなって
母が亡くなるまさに時刻に
私が卵巣嚢腫茎捻転で緊急搬送に緊急手術。

怒涛の時間だったなぁ。

思い返せば3年前に母が緊急入院してから、2年の間、徳島と東京を行き来し、常に頭の片隅に母がいて、治ることを祈って明るくいることをつとめていた。
無理矢理に口角を上げることもあった。
どうしても刺々しい気持ちになることもあった。
手術されて身動きがとれなくなった時、泣くに泣けないで、ただ天井を眺めるだけだったこともあった。
手術台の上で「麻酔の前に会社に連絡させてくれ」といって、電話をしたとき…母のことで私が2年間行ったり来たりしてたことを知っていた同僚が、涙声で「伝えておきます」といった時、泣けるっていいなぁと思ったのを覚えている。
術後医師に「明日の通夜に参加したい」といったら、はじめ困った顔をしていたけれど、車いすなら外出してもいいと言われて、必死に歩行訓練をしたこと。
「無理して歩きまわるな」と言われていたのに、歩きまわって傷口のガーゼを真っ赤にさせてしまったら、「無理したいのわかるけど、真っ赤になってるわよ。すごく痛いと思うから、葬式のときは痛み止めをキチンと飲んでくださいね。」と看護師さんに言われたときに、今無理しないと後悔する!と心のなかで泣いていたこと。
車いすで葬式に参加させてもらったこと。
父が火葬場へのバスに乗る前に「病院にもどれ」と言ったけれど、主人が「火葬場に連れて行ってやる。今の恵玲奈がやれることは全部やったのだから、後で、後悔して泣くなよ」といって車に乗せて連れて行ってくれたこと。
最後の姿が見れたこと。
泣くという作業が、あまりできなかった、母との別れを思い出す。

それが・・・
もう一年だもんなぁ。

メソメソとしてられない生活の変化やらあったけれど
父・ダリ・ラウラ(犬)、友人…いろんな出会いのお陰で
今がある。

これからも、ハチャメチャでいろんなことが起きて
毎回ウンウン言いながら
まわりに心配かけて
たまにダウンして迷惑かけて
ということをするとは思うけれど(笑)

来年も「まぁ見ててよ」と天国の母に言えるように
がんばって
楽しく笑って生活していきたいと思います。

ありがとう(^^)