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年表:ダルフール紛争 和平努力
CHRONOLOGY-Darfur conflict, peace efforts
2007.10.01
http://darfur-news.seesaa.net/article/62552830.html
 (※最新ダルフールニュースをご覧下さい)

30台の車両に乗った武装集団によって、土曜ダルフールでハスカニタの基地への「計画的で持続的な」攻撃で、18人のアフリカ連合兵士は死傷し、40人が行方不明になリ、武装集団は略奪し基地を破壊したとAUは言った。
これはスーダン西部の紛争のいくらかの主な事件の年表である。


 2003年

2月-乾燥した地方を政府が無視したと言い、二つの反政府勢力が武装蜂起し、武装アラブ民兵が市民を襲撃した。

 2004年

4月2日-国連は、ダルフールが世界最悪の人道的危機の一つとなったと言う。
4月8日-政府、スーダン解放軍(SLA)と正義と平等運動(JEM)反政府勢力は、45日間の停戦に同意。
 彼らは後に、アフリカ連合(AU)とEUから国外の停戦監視団に同意。

 2006年

5月5日-スーダン政府とSLA、新たな和平協定に調印。
 対立するSLA党派と、より小さなJEMは協定をを拒否。
8月17日-イギリスとアメリカ、ダルフールに国連平和維持軍を送る安保理会決議を提出。
 スーダン与党は、1週間後、決議案を拒否。
8月31日-国連安保理はダルフールにおける26,000人の国連軍と警察の国連平和維持軍を可決するが、スーダンはその広大な西部地域への外国軍の上陸を拒否。

 2007年

1月10日-スーダンとダルフール反政府勢力は、暴力停止への一段階としてAUと国連が支援する60日間の停戦と和平サミットに合意。
2月27日-国際刑事裁判所主任検察官、ダルフールの最初の2人の戦争犯罪容疑者を告発。
 スーダンは、ICCには管轄権がなく、後に逮捕状を拒否すると言う。
4月2日-正体不明の銃撃者が、単一の攻撃で2005年以来軍に対して最も死者の多い攻撃で、5人のAU平和維持軍隊員を殺害。
 アフリカ連合は、国連軍隊の援助が必要であると言う。
4月18日-強力な国連平和維持軍の受け入れに同意しない限り、アメリカとイギリスはスーダンに制裁の他懲罰的な処置を取ると脅かす。
5月29日-ジョージ・W・ブッシュ、アメリカ大統領は新たなアメリカの制裁措置をスーダンに課し、彼がダルフールにおけるジェノサイドと呼ぶものを終結させるため、国際的な武器禁輸に対する支持を求める。
6月12日-AUは、スーダンが国連AU合同平和維持軍の展開、マンデート、構成に合意したと言う。
8月1日-国連安保理はダルフールのための合同ミッションのため26,000人の部隊と警察を承認し、民間人を保護するため、実力行使を認める。(※訳注1)
8月6日-ダルフール反政府勢力グループは、権力と富の分配、安全、土地人道援助の諸問題に含む「共通のプラットホーム」に合意したと国連最高特使が言った。
8月20日-5つのダルフール反政府勢力グループの指導者達が、解放と発展のためにの統一戦線をつくる(United Front for Liberation and Development)。
9月6日-スーダンとダルフール反政府勢力は、計画された26,000人規模の維持軍平和軍の展開へ向けて10月27日リビアでの協議に合意する。(※訳注2)
9月29日-武装集団が南ダルフールのハスカニタAU基地襲撃で10名が死亡し十数名が行方不明となる。
 基地は破壊された。


(※訳注1);正しくは7月31日
(※訳注2);国連事務総長とスーダン大統領は合意したが、反政府勢力が合意したとの声明はない。