俺は先日、『アーロと少年』を幼いチルドレンたちと一緒に鑑賞した。



ストーリーに起伏もあまり多くなく、良く言えば『分かり易い』し悪く言えば『単調』。

クライマックスにはキチンと感動要素もあり、ベイマックスで泣けるやつならたぶん泣ける。

ちなみに俺は、ベイマックスのクライマックス感動シーンでは泣かない代わりに「フフッ」ってなった。
まぁ、そんな感じの映画だな。


だが、今の幼子にはこれくらいの適度な刺激で良いのだろう。







と、

俺は思っていた。





ある幼児曰く、





「強い恐竜いないね」





俺は、20kgのダンベルをなかやまきんに君のフルパワーで後頭部を殴られたような衝撃が走った。

俺の頭はさっきまで跡形もなく吹き飛んでいたが、何とか今は再生を済ませている。ビバ、自然治癒力。



ウソみたいな勘違いを俺はしていた。



彼らは『恐竜』という現実と空想の混じった存在に対し、『強さ』という概念を重ねていたのだ。




俺はダメな大人になりかけていた。




俺は恐竜に興味を持った子供たちに、ただ『恐竜』という概念が存在する作品を見せてしまったのだ。

この『アーロと少年』という作品、決して駄作とまでは言わないが、他のpixer作品などと比べるとどうしてもメッセージの弱さが引っかかる。

『トイ・ストーリー』なら困難を乗り越える中で芽生える友情。
『ファインディング・ニモ』なら父親のひたむきな愛情。
『カーズ』なら他者とのふれあいから生まれた心の成長。
『Mr.インクレディブル』なら忘れていた思いを取り戻す家族の絆。

etc...

pixer作品は他のディズニー作品には無い、少し尖った印象の強い作品が散見できるが、この『アーロと少年』に関して言えばそういう部分はあまり見られなかった。少なくとも俺にはそう見えなかった。


そして、それはおそらく俺と鑑賞したチルドレンにもバチっとは響かなかったらしい。

そうなのだ、恐竜の持つ荒ぶるダイノガッツを学ぶために『アーロと少年』という作品をチョイスすべきではなかったのだ。

極端に例えると、『アーロと少年』は『あらいぐまラスカル』の人間と動物(恐竜)を入れ替えただけのストーリーなのだ。まぁ、暴論なのは重々承知だ。

つまり何が言いたいのかというと、

"本来の恐竜の持つスパルタンな生き様"を彼らに伝える必要がある。

「強い恐竜はいない」と言わしめた俺には大いなる責任がのしかかった。






今ならAmazonプライム・ビデオでも観ることができる『ウォーキング・ウィズ・ダイナソー』を見せる事にした。


俺は既にこの作品は何度も観ているから、極端なゴア表現は控えめなのは把握しているし、それでいて恐竜たちの織り成す苛烈で無慈悲な生き様を垣間見ることが出来るのも知っている。

全作品を見せるには少し時間はかかるだろうが、幼児の理性が続く限り見せてやる事にした。


このシリーズは、魚類や昆虫類の始祖の生きたカンブリア紀からペルム紀は一旦置いといて、大型爬虫類、つまり恐竜が生息していた三畳紀からジュラ紀を経て、やがて絶滅を迎える白亜紀に焦点を絞ったドキュメント風の恐竜ドラマだ。

ちなみにこの『ウォーキング・ウィズ・ダイナソー』は結構色んなシリーズがあって、そのいずれも独特の構成と見せ方が面白くて俺はかなり好きなのでおススメもしておく。




先述した通りだが、恐竜はただひたすらどう猛に苛烈に『喰らい合う』ためだけに生きている。

強いやつが弱いやつを食うのはもちろんだが、強いやつが弱ったところを弱いやつが集団で襲って食うこともあるし、卵や繭、親からはぐれた子供の恐竜なんかは速攻で喰われる。何度見ても子供の恐竜が喰われるシーンは心に来るものがある。

干ばつが来れば干上がって水場を奪い合って喰い合い、寒波が来れば穴場を奪い合って喰い合う。

命懸けで繁殖期につがいを探すも、念願の叶わなかったやつは野垂れ死んで食物連鎖の下層に落ちる。

ドライかつドラマチックな世界は、常に『誕生』『繁栄』『絶滅』を繰り返す。自然淘汰など日常茶飯事なのだ。



チルドレンは黙って観ていた。




やがて、


子供は訊く。

「何で子供ばっかり食べられるの?」

俺は答える。

「弱いからよ」


子供は訊く。

「恐竜ってどうしたら強くなるの?」

俺は答える。

「弱いやつを食いまくるんだよ」


少し利口な子供が訊く。

「そんなの卑怯だよ」

俺は答える。

「弱いやつは、さらに弱いやつを食うよ。さらに弱いやつはもっと弱いやつを探して食うよ」


「……」

俺は続ける。

「強い方がいい?弱い方がいい?」

子供は答える。

「強い方がいい」






100点満点の答えだ。

強い方がいい。

言うまでも無い話だ。


生物は強くなるために、適応するために、強者から身を守るためにこれまでずっと進化を繰り返してきた。

俺たちの始祖であるホモ・サピエンスも誕生してからは同様に進化をして今の俺たちになった。

当然生物の本能である『強者が弱者を駆逐』していくというルーティンは維持したままでな。



そう、強さを求めるのは生物の本能。

法治に塗り固められた現代でも、強きが弱きを攻撃する様式は変わることが無い。

『いじめ』が無くならないのはそういうことだろう。

傷害やそれ以上の行為ではそうはいかないが、『いじめ』そのものが法律で取り締まられることはない。

絶対的に『強者』と『弱者』の区分分けが無くなることは、生物的に許されることではないからな。

平和であることは素晴らしいことだ。これは間違いないし、異論も認めたくはない。

だが、強さを求めるために競い合うことを放棄することも俺は推奨しない。

『勝負』という言葉がある以上は勝ちにはこだわりたいし、こだわってほしい。


ただ、

恐竜の世界と同じく子供たちは、未来はあるがあまりに弱い。

そしてその子供たちは今の日本には非常に少ない。

『大人は子供を産まないという選択』すら恒常化してきた。

俺もその1人なんだが。



大人ばかりのいる世界に子供はどう割って入って『強さ』を主張していくのか。

増え過ぎた大人がわずかな子供を隙間なく守り続ける。

子供が自力で進化することを大人はなかなか許してはくれない。


子供たちは強くなりたいのだ。

情けないが俺たちはそれを阻害しているのだ。

荒ぶるダイノガッツを子供たちへ伝えるために俺たちのできることは何なのか。


その辺をリュウソウジャーさん辺りに、持ち前の知名度でもってどうにか伝えてやってもらえませんかね。

あまり面白くないのはこの際見て見ぬ振りをしますんで。

ホント、強いの頼みます。






それはさておき、

『トイ・ストーリー4』

めっちゃ楽しみ!

とりあえず唐沢ウッディと所バズで1発目は観たいな!

ジェシーと新キャラボー・ピープちゃんも早く観たいな!







恐竜が強いかどうかは実際に見てないので何とも言えないが、少なくとも、

「俺は強いぞ」

と言えるようにだけしときます。


頑張ります。