『どんなピンチの時も  絶対あきらめない』



かつて2次元世界で狂喜乱舞した美少女戦士たちは、ともすればある種『呪い』の様なこのフレーズを背負い巨大な壁へと立ち向かっていた。



だが、『ピンチの時に諦めない』というポリシー(原則)とは可憐な乙女だけのものではない。



つい最近、数ヶ月ほど前に俺たちは、


『男の子だってプリキュアになれる』


という歴史を覆す事象から学んだばかりのはずだ。

つまり、絶大なピンチからの起死回生という逆転ドラマは、女だけの世界ではなく男の、いや、漢(おとこ)の世界にも要求されるのだ。




だ!






俺は先日、MSG(マディソン・スクエア・ガーデン)で新日本プロレスというプロレス団体の興行を目の当たりにしてきた。

MSGについての説明は省くが、よくNBAとかアイスホッケー、プロレスならWWEのスマックダウンライブとかで有名だし、ラルクが日本人初のコンサートやったりその後にX JAPANもコンサートやったりして結局は説明を省いてねぇじゃねーかというツッコミは無しだ。



俺の幼少時代、力道山の日本プロレスからジャイアント馬場の築いた全日本プロレス、そしてアントニオ猪木が築き上げた『新日本プロレス』という大動脈が誕生して俺たちおっさんの言うところの『お茶の間』を爆熱させていた。

それ以降、なんやかんやでプロレス団体は個々の主張のズレから枝分かれして、それぞれが目指す新世界を構築していく。

時代は流れて多様化も進み、プロレス以外の格闘技(PRIDEやK-1等)が席巻してファンも分散の一途を辿る。

やがてそれらも下火となり、貧血気味のプロレス界に、いつしか世間は次第に戦う男たちの世界から距離を置くようになった。

そんな中、多くの戦乱と鎮静の間をもがき続けた『新日本プロレス』だけは『俺たちのプロレス』という信念を貫き通した。


そう、プロレスとはとろけるほどカッコいい漢(おとこ)たちが生み出した壮大な物語なのだ。





と、少々エモい論調で語ってみたが、時代の流れに沿って1〜2年ほど前までは俺もプロレスから気持ちが離れていたのも事実である。

偉そうにプロレス談義をしようとしても、週末の深夜帯でひっそりと放送される『ワールドプロレスリング』を毎週録画し、それとなく仕事を含めた作業の合間に垂れ流しながら観ていただけの俺にはその資格は無い。


でもね!

先日のMSGでの興行を観て俺は悟ったよ。












ありがとう、プロレス。



と。


そして忘れてはならない、






ありがとう、NY。



と。


これまでそれとなくTVで放送される蔵前国技館での、あの

『なんか盛り上がってんのか盛り上がってないのかイマイチよく分からん』

感じの新日本プロレスが、あのMSGでは熱狂のるつぼと化していたのだ。




兎に角、NYという場所はデカい。

建物だけなら日本にもデカい建物はゴマンとあるが、そういう話ではなく、単純にデカい。

語彙とかは不要で、ただただデカい。

そして何より、






強い。






『この国は強い』

というのは、これまた言葉にするのはとても複雑で面倒なのだが、現地で肌に触れればどれだけ観察眼の鈍いやつでも感じるはずだ。

NYに住む人間は以前こんなことを言っていた。


『NYというのは、物価は3倍だが、チャンスが10倍降ってくる街』

と。



なるほどな、と確かにそう感じた。

道行く彼らが何かに向かって生きているのがはっきりと分かる。

知識、技術、芸術、そして感情。

それらを抱いた人たちが国を作っていることを半ば無理矢理にでも理解させられる。

無論、落ちぶれるやつも多くいるだろう。

俺は怖がりだからそんなやつがうろつくようなダークゾーンには一切近づかなかったが。

この街に憧れる人間の気持ちを何となくだが理解したつもりだ。

この地で生きる人間は、闇落ちした者も含めることになるが、とても強い。

わざわざ現代の日本人と比較するのはナンセンスなので控えるが、俺が何を言っているのか、或いは何が言いたいのかは文脈で理解してくれ。



で、

そんな絶対強者の集団の中心で敢行された新日本プロレスの興行。

それがクソ盛り上がりまくっていたこと。

画面越しの蔵前国技館とは次元が違いすぎて比較のしようがないほどに。


そして何よりも、

戦っている選手の、

間違えた。

戦っているファイターのモチベーションとエモーションが、俺のかすれて消えかけたプロレス愛を呼び戻した。

2019年1月4日に行われた『1.4 IWGP』(『イッテンヨン アイダブリュージーピー』と読もう)でジェイ・ホワイトに惜敗したオカダカズチカが、リベンジとばかりに今回のジョン・ホワイトをピンフォール勝ちした時の会場の狂喜とカタルシスは、残念ながら今の俺程度の語彙ではとても表現しきれない。

これからもレインメーカーがリングという舞台に金の雨を降らせ続けていくことを確信した瞬間に立ち会えた感動。


強さの象徴に住む者たちが奏でる輪舞曲(ロンド)に合わせて舞い踊る屈強な戦士たち。

強すぎる漢(おとこ)たちが更に強くなる奇跡。







とりあえず俺がここで言いたいことは、

もし目の前で誰かと誰かが戦っている姿を目撃した時、死んだ目でSNSに投稿して炎上の扇動をさせるよりも先に、そのパッションを受け止めて己の活力に変換することを強く勧めたい。

それだけだ。


だって、


ときめく方がいいよね?

大きな夢があるよね?


だから、


ピッと凛々しく(雑なまとめ方)










あと、

興行後のオカダカズチカの結婚報告も、なんか嬉しい。