たとえばこんな話。


あの人はその人とかの人の営みを経て生まれたようだ。

この世界では、
人が人と人の間から生まれてくることもあれば、

わたしのように、
空から生まれてくることもある。



空から生まれてくることがわからない?
どういうことだって?

実はその瞬間を見た人はまだいないようなのだけど、


だから、
気付いたら同じ空間、部屋に

"その赤ん坊が、居た。"



あるスピリチュアルの人々曰く、
その人たちは要は、見えないスピリットと会話することができるらしいのだが、


空から生まれる子は、

"人の目"には見えない空間の振動の高まりに乗って
やってくるそうだ。


そして、
彼らは
誰かの願いの結果
なのだそうだ。


その"誰か"というのは、
今五感で見えるこの空間を含む
もっと大きな世界の人々。


言ってみれば、
この世界で死んだ人がその死んだ瞬間に、別の場所で空から生まれることもあるし、

人以外の鳥やケモノの願いでもあるらしい。






彼らやわたし、空から生まれた人と、


人と人の間から生まれた人


そのちがいはさほどない。




どうやら、空から生まれたわたしたちの方が
どちらかというと"自分はここに生まれて来た"という自覚が強いようだ。



とはいえ、
生まれたては赤ん坊だ。



わたしたちは赤ん坊に宿る前
この人生では初心に還ることをどこかで知っているので、

少なくとも
わたしたちが生きていけるよう育つまでの間
わたしたちを見てくれる、
いわゆる"親"という人になる人の側に生まれる。






って進めてみたらば、
なにかものすごくひっかかるなにかに触れている気がしてきた 笑


"恐ろしい"

"このようなストーリーは恐ろしい" 


なにかから大きく逸脱する、、、

そういう恐怖?



やっぱあれか 笑
生命の繁栄の流れじゃなかろうか 笑

その"流れ"ってのが、存在のほんとの流れかどうかは知らないけど、
少なくとも、自分の中で、
ゼッタイに覆してはいけない"流れ"。


これDont否定系だから、自分のではなさそうだ。
教え込まれたと思い込んでる系 笑


やっぱ自分に還ってくる 笑

どんなに盛大なストーリーを想像しても、結局自分に還ってくる。


今の自分が何を好きで、何を不安に思っているか、
そこにくる 笑



そうなんだよ、
結局、レールだレールだと言ってきたフツーってのは、
親と子。


大学行って、就職して、結婚して、子供を生んで、その子らが成人するまでがんばって、そしたら引退して、老後は孫を抱き、ゆったり生きる、、、、、


このたくさん聞いたストーリー、、、
結局わたしがいちばん親と子の関係を欲していたことの現れなんじゃなかろうか 笑


まぁだから、
自分に何が起ころうとも、そのストーリーラインを歩めれば、少なくとも、自分が生まれて来た役目は果たしたので、
そういう意味で、自分は決して負け組ではないし、
社会を維持していく基盤の最低限の役目は果たしたので、
そういう意味で、わたしはゼッタイ的に安心だ。

安心して、死ねる。
他のどんなことをも成し遂げることができなくとも、
愛する伴侶と、愛する子ら、孫、
十分すぎる人生だ。


非の打ち所がない人生。


だと思ってきた、
誰かの話。


そして、
ちっともそうじゃないわたしの人生 笑


あまりに見すぎたこのストーリーライン。
あまりに見すぎるから、そんで自分はそうじゃないから、考えるよね 笑


はじめは
"なんで自分の人生はこうなんだろう、、、?"
"どうして思うものやことが自分には手に入らないんだろう?"

って堂々巡りの自分責めばかりだったのだけど、
あぁ!なんて人生は不完全なんだ!なんて嘆きながら



そもそも
見すぎてきたストーリーライン、

どうしてあまりにもそればっかりなの??



そういうストーリーラインじゃない人生がどこか悲しくて切ないもの、
ってストーリーラインも同じか、結局。



まぁハタから見える人生なんてどうでもやっぱりよくて、
やっぱり結局

何しよう。



わたしが生まれたのも、ここにいるのも誰かや昨日のわたしの願いが叶った結果で(状態)


今わたしの目の前にこうして毎瞬勝手に展開してるストーリー、現実が
何かの叶った結果で(状態)


わたしの今はとても幸せで(状態)


嫌なことももうそれでよくて、
その嫌なことを経験してる間の自分の感情も紛れもない大好きな自分のひとつだから完ぺきで(状態)


空はキレイだし、鳥はさえずるし、ここはもうどこででもあるんだな(状態)



何しよう(行動) 笑



わたしは何になりたいんだっけ?
ん〜近しいけれど、

わたしは何がしたいんだっけ?