お気づきだとは思いますが、私は文章を書くのが下手です。
言葉には口語、文語があることは百も承知なんだけど、
書く時も話し言葉と同じようになってしまう。
なんとか頑張ってもう少しまともな文体にすることも出来ないこともないのだけれど、そうするとすごぉーーーく時間がかかってしまって、とてもUPするに至らず、なんとなく自分のなかの賞味期限が切れてしまったり、時期はずれになってしまったり・・・。
そういうことがすごく多いんですね。
一応これでもUPする前に読みなおしてみると、ひどいときなんか、やたらに読点ばかりで10行近くも文が続いたあげく、強引に「。」が現れてたりする(笑)。
さすがに、少し直すんですけどね。

でも、文章を書くのはわりと好きなんです。
10代の頃は親友とよく手紙の交換もしたし、友達にお薦めのミュージックテープやMDをプレゼントするときには、頼まれてもいないのにいちいちライナーノーツもどきを
書いてみたり・・・。
そして、その度に「もっと上手く書けないもんかね?え?kayoさん」と自分にツッコミたくなる。
おまけに書けば書くほど自分が書きたかったことから、遠ざかっていくような気がすることもある。(「こともある」というより「ことばかり」かも(笑))

だけど、たまに(本当にたまーーーーにだけど)
「あ、上手く書けた」と思うことがある。
ありきたりの言葉や、なんてことない雑感でも、何度も何度も書いているうちに
「そうだよ。これが書きたかったんだよ。」って言葉に出会えるときがある。
もしかしたらその言葉は読んでくれる人にとっては、いつもと同じように映っているのかもしれないけど、とにかく私の中では「これだよ」ってね。
たぶん、文章を書く(言葉を紡ぐ)ということは、自分の気持ちを探すってことなのかな?
そんなことに、今更ながら気づいた。
それは実際探さなくても確かにここにある気持ちなのかもしれない。けれど、目に見えないから探してみたくなる。
そういうことなのかな?

山川健一さんのブログ「イージー・ゴーイング」で
『自分の好きなものは、自分自身とイコールではないかもしれないけど、限りなく自分に近いんだよ』
というようなことを書かれていたと思うんですが(なんせ今アメブロ内のブログに繋がらないのでうろ覚えなのですが・・・・)、
私にとって「あ、これだ」と感じられる言葉が見つかったとしたら、その言葉はきっと私自身に限りなく近いんだ。

だから、このブログも続けてみようっと。
たまーーにでも、「あ、これだ」って思う言葉が書けるかもしれない。