埼玉・秩父神社 その1/2 正面~右面 | 神社に隠れていたモノ

神社に隠れていたモノ

神社の彫刻を見て、何の物語か教えてほしいと思ったことがあり、調べた結果をブログします。タイトル「神社に隠れていたモノ」は覆屋の中にこんな素晴らしい彫刻が隠れていたのかという思いから付けました。

2023年3月21日 埼玉県秩父市番場町の秩父神社に参拝しました。

 

彫刻が多いため2つに分けて掲載します。

  ・埼玉・秩父神社 その1/2 正面~右面

  ・埼玉・秩父神社 その2/2 右面~左面

 

由緒

平安初期の典籍『先代旧事紀ー国造本紀ー』によれば、第十代崇神天皇の御代に、知知夫国の初代国造に任命された八意思兼命の十世の子孫である知知夫彦命が、祖神をお祀りしたことに始まるとされており、武蔵国成立以前より栄えた知知夫国の総鎮守として現在に至っています。天慶2年(878)には、神階正四位下に進み、『延喜式』に掲載されるなど、関東でも屈指の古社に数えられています。現存するご社殿は、天正20年(1592年)に徳川家康公が寄進されたもので、江戸時代初期の建築様式をよく留めていることなどから、埼玉県の有形文化財に指定されています。

 

鳥居

 

拝殿

 

向拝

 

唐破風下:大黒と恵比寿  中備:猩々
高風という親孝行な人物が、夢の告げに従って酒を商うと繁盛してお金持ちになりました。高風の店にいくら酒を飲んでも顔色の変わることがない不思議な客がいました。名を尋ねると海中に棲む猩々だと名乗りました。ある夜、高風は猩々と海岸で会う約束をしました。酒を持って海岸で猩々を待っていると、猩々が海中より現れます。そして、酒を飲み、無邪気に酒を讃える舞を舞います。猩々は酒のお礼として、高風に汲めども尽きぬ不思議な酒壺を授けたという。

 

木鼻:麒麟  持送:獅子

 

正面の欄間に虎の彫刻があります。その内の1枚は「子育ての虎」と呼ばれています

 

子育ての虎
当時の狩野派の絵画は、虎の群れの中に必ず一匹の豹を描くことが定法とされていたことから、あえて母虎を豹として描いてあります。名工・左甚五郎の作。

 

拝殿の右面

 

右面の欄間部分に仙人などの彫刻があります

 

黄安仙人
列仙伝という中国の道教にまつわる説話集で、70人の仙人たちの伝記が載せられている。その一人が黄安。黄安は中国前漢の武帝時代の仙人。家にいる時には三尺程ある大亀に乗っている。逸話に、今年で何歳になるかと聞くと、この亀は三千年に一度顔を出し、今まで五度頭を出しているので一萬五千歳と答えたという。長寿、永遠の象徴となっている。

 

不明

 

蝦蟇仙人の劉海蟾
中国の列仙伝中の一仙人で、蝦蟇を使って妖術を行ったという。後足が一本しかないという三足蝦蟇を引き連れており、蝦蟇仙人の名称で知られる。絵画には鉄拐仙人と対幅に描かることが多い。

 

李鉄拐
八仙の一人。鉄の杖(拐)をついて歩いたとの言い伝えから「鉄枴」の名前が付いたといわれています。逸話に、鉄拐は弟子に「7日経って戻ってこなければ焼いてよい」と告げて、太上老君に会うために自分の魂を肉体から遊離させて崋山へ出かけて行った。6日目、弟子の母が病気になり、弟子は鉄拐の体を焼いて母の元へ行きました。7日目に鉄拐の魂が戻ってきたものの、体は既に焼かれて無く、仕方なく付近にあった乞食の死体に入ったという。そのため、鉄拐がボロを身に纏い、かつ魂が抜け出している姿で表現されることが多い。

 

雷神
顔は牛のようで、また虎の顔が描かれたパンツを履いている。この雷神の彫刻がある方角は丑寅の方角とも言われ、一般的に知られる「鬼」の姿がここから生まれたと言う。(秩父神社社報No.33を参照)

 

彫刻が多いため、その2に続きます。

 

コメント:正面・右面・左面の工事が終了したばかりで、色鮮やかな彫刻が見れます。残り背面も2023年10月までに修復予定。

 

***  神社と彫刻のリスト  ***