埼玉県・阿保神社 | 神社に隠れていたモノ

神社に隠れていたモノ

神社の彫刻を見て、何の物語か教えてほしいと思ったことがあり、調べた結果をブログします。タイトル「神社に隠れていたモノ」は覆屋の中にこんな素晴らしい彫刻が隠れていたのかという思いから付けました。

2023年2月18日  埼玉県児玉郡神川町の阿保神社に参拝しました。

 

由緒

ここ元阿保の地は丹党安保氏の本貫地とされる。字上宿には、安保氏館跡と伝える地があり、館跡のすぐ北西には当社が鎮座、南西側には安保泰規が室町初期に建立したと伝える大恩寺跡が隣接する。当社はその立地から丹党安保氏により鎌倉期以降に祀られたことが推測されるが、「武乾記」(根岸伊兵衛 安政元年1772)に載る由緒はさらに古い。「六所明神は延喜式内の社なり。村老の伝に大古、阿保人上武蔵介の建立せし所なり。その後安保次郎実光、当国府中六所明神を移し合祀せしと云う。」風土記稿に六所明神社と載っているが、明治43年に阿保神社と改称した。

 

鳥居

 

拝殿

 

覆屋

 

二重に網が張ってあり、非常に撮影がしづらい

 

本殿

 

右面の胴羽目:黄安仙人  (左下に亀がいるため、黄安仙人とします)

列仙伝という中国の道教にまつわる説話集で、70人の仙人たちの伝記が載せられている。その一人が黄安。黄安は中国前漢の武帝時代の仙人。家にいる時には三尺程ある大亀に乗っている。逸話に、今年で何歳になるかと聞くと、この亀は三千年に一度顔を出し、今まで五度頭を出しているので一萬五千歳と答えたという。長寿、永遠の象徴となっている。

 

左下に亀

 

背面の胴羽目:趙雲救幼主
劉備は曹操軍から逃げていたが、長坂坡で追いつかれ、劉備の妻である糜夫人と嫡男の阿斗が戦場に取り残されてしまう。趙雲は一人で戦場を駆け回り、阿斗を抱えた糜夫人を見つけるものの、夫人は足に傷を負っていたため身動きが取れずにいた。二人を救出したい趙雲でしたが、足手まといになることを怖れた糜夫人は、井戸に身を投げます。阿斗を託された趙雲は、阿斗を胸に抱くと、曹操軍の包囲網を単騎脱出したという。

 

赤ん坊を抱いているように見えないため、「趙雲救幼主」と違うとも思いましたが、右上に「長坂坡趙雲救幼主」と画題が書いてあります。

 

左面の胴羽目:不明

 

右面の脇障子:不明

 

左面の脇障子:不明  (下に四つ足の動物がいる)

 

コメント:この神社は覆屋に二重に網が張ってあり、ピントが網に合ってしまって、1回目に行った時は撮影に失敗しました。コンパクトカメラでの撮影には、風景のモードにすると遠くにピントが合うようです。

 

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