埼玉県・八幡宮 | 神社に隠れていたモノ

神社に隠れていたモノ

神社の彫刻を見て、何の物語か教えてほしいと思ったことがあり、調べた結果をブログします。タイトル「神社に隠れていたモノ」は覆屋の中にこんな素晴らしい彫刻が隠れていたのかという思いから付けました。

2022年11月10日 群馬県太田市尾島町の雷電神社に参拝しました。

 

由緒書きはありませんでした。

鳥居

 

本殿と玉垣

 

本殿

 

右面の胴羽目:新田義貞と稲村ケ崎?
新田義貞は鎌倉幕府討幕のため進軍。しかし、鎌倉は三方を山、一方を海に囲まれ、守りやすく攻められにくい天然の要塞ため、攻めあぐみました。義貞は稲村ケ崎で黄金の太刀を海に投げ入れて龍神に祈願すると、潮が大きく引いて、海岸伝いに鎌倉へ攻め入ることが出来、勝利したと伝えられる。

 

背面の胴羽目:応神天皇誕生
神功皇后は仲哀天皇の妃。仲哀天皇が熊襲征伐で敗北し戦死。その後、熊襲征伐を取り止め、朝鮮半島に出兵(三韓征伐)し服属させたという。その時、神功皇后は身籠っており、お腹に石をあててさらしを巻き、冷やすことによって出産を遅らせたとされる。その帰路、筑紫の宇美で応神天皇を出産したと伝えられている。

 

左面の胴羽目:新田義貞と稲村ケ崎?

 

許由と巣父
聖帝尭が自分の天下を譲るという申し出を聞いた許由は、耳がけがれたといって川の水で耳を洗い、箕山に隠れ
たという。そして巣父は、そんな穢れた川の水を牛に飲ませられないと、牛を牽いて引き返したという。

右面の脇障子:許由

 

左面の脇障子:巣父

 

正面扉:風神・雷神

 

コメント:何故か右面の胴羽目と左面の胴羽目が同じような構図の彫刻。たぶん「新田義貞と稲村ケ崎」だと思うが何故、同じような構図を彫刻したのか分からない。

 

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