埼玉・藤田善導寺 | 神社に隠れていたモノ

神社に隠れていたモノ

神社の彫刻を見て、何の物語か教えてほしいと思ったことがあり、調べた結果をブログします。タイトル「神社に隠れていたモノ」は覆屋の中にこんな素晴らしい彫刻が隠れていたのかという思いから付けました。

2022年10月8日 埼玉県寄居町末野の藤田善導寺に参拝しました。

 

由緒

浄土宗寺院の藤田善導寺は、白狐山悟真善導寺院と号し、藤田善導寺・藤田の檀林とも呼ばれます。藤田善導寺は、永仁5年(1297年)に藤田持阿良心上人が創建、武蔵七党猪俣党の支流である藤田氏の菩提寺だったといいます。天正18年(1590年)豊臣秀吉と後北条氏との戦火により頽廃したものの、照蓮社寂誉遵道上人が再興したといいます。武州寄居十二支守り本尊霊場の子札所です。

 

 

本堂

 

本堂内部  本堂は開いていないため、ガラス越しに撮影

 

欄間:中国二十四孝 郭巨
郭巨は貧困のため母と子供を養えなくなり、悩んだすえに「子供は再び得られるが、母は再び得られないのだから、子供を捨てる」と決心し、妻にそう告白した。夫の悩む姿を見続けていた妻も頷きました。郭巨が子供を埋める穴を掘ると、黄金の釜が出てきました。その釜には「孝行な郭巨に天から与える。役人も他人も盗ってはいけない」と書かれた札が入っていました。郭巨は黄金の釜を売り、子供を養いながら更に母に孝行しました。

 

欄間:龍

 

欄間:中国二十四孝 孟宗
中国三国時代、呉国に孟宗という親孝行の息子がいました。幼い頃に父を亡くし、高齢の母は重い病にかかっていました。彼は医者から母に新鮮な筍のスープを作るようにと言われました。時は冬、筍は春にならないと生えてきません。なす術もなく竹林に入った彼は、竹にすがって泣き出しました。すると大地が揺れ始め、地面がひび割れたかと思うと、数本の筍が生えてきました。大喜びした孟宗は筍を家に持ち帰り、筍のスープを母に飲ませまると、母の病気が治ったといいます。

 

百人一首画の格天井

格天井に金竜斉宗信(1629年)作の百人一首画があります。

 

 

 

 

コメント:素晴らしい彫刻と格天井。扉のガラス越しにしか見れないので、小さくしか見れないのが残念です。

 

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