2022年1月29日 埼玉県所沢市三ヶ島の中氷川神社に参拝しました。
由緒
中氷川神社の創建年代等は不詳ながら、崇神天皇の代に社託によって勧請、日本武尊東征の際に大己貴命・少彦名命の二柱を併せ祀ったといいます。足立郡大宮の氷川神社と西多摩郡氷川村の上氷川神社との中間に鎮座することから中氷川神社と称されるようになったといい、『神祇志料』や『旧神祠記』などの古書には、中氷川神社の鎮座地は三ヶ島とされていることから、当社が延喜式式内社の中氷川社だといいます。いつの頃からか長宮明神とも中宮とも称されて入間郡三ヶ嶋領の総鎮守だったといい、天正19年(1591)には社領10石の御朱印状を拝領、明治5年村社に列格していました。
鳥居
拝殿
中備:2頭の虎
覆屋 細かい金網が張ってあります。
本殿
胴羽目3面(右面・背面・左面)で、七福神を彫刻しています。
右面の胴羽目:寿老人、布袋
背面の胴羽目:大黒、毘沙門、恵比寿
左面の胴羽目:福禄寿、弁財天
右面の脇障子:李白観瀑
李白は唐代を代表する詩人で、流浪の旅の途中で訪れた盧山の瀧を目の当たりに、自然のあるがままの様子に心打たれてただ立ち尽くしたという。
左面の脇障子:董奉
その昔、中国は廬山というところに董奉という医師がいました。彼は人に尽くすために治療を行ってあえて治療代を受け取らず、その代わりに病気が治った人には、記念として杏の苗を植えてもらいました。そうして、いつしか10万余株の杏の木がうっそうと茂る大きな林ができあがったといわれています。また、董奉の傍らには常に虎がおり、害をなす者には襲いかかり、困っている者は助けたと云われています。
右面の腰羽目:鳥と花
背面の腰羽目:松と鶴
右面の腰羽目:鳥と花
枯死した御神木のケヤキ。本殿裏にあります。
コメント:胴羽目だけでなく、腰羽目などの彫刻も素晴らしい出来だと思います。
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