2022年2月27日 埼玉県さいたま市岩槻区笹久保新田の冨士浅間神社に参拝しました。
由緒
笹久保新田は、文禄年間(1592-96)に笹久保村の中村傅右衛門ら四名によって開発されたと伝えられる。当社
は、『明細帳』に載る口碑によれば、この中村傅右衛門が新田開発を企図した際に、「この大事業は到底人力だ
けでは遂行が困難であり、神明の加護を得ることなくしては全うできない」と思い、平素信仰してきた浅間神社
を、「この大神は大難・難産除けの御神で、新田開拓地における生命財産の守護神にふさわしい」として鎮祭し
たものであるという。
現在の本殿は、石造の台座部に「明治十二年」の年紀と寄附連名が刻まれているので、この年に再建されたもの
と思われる。また、内陣には、祭神である木花咲耶姫命の座像が安置されている。
鳥居
拝殿 小高い場所にあります
覆屋
本殿
右面の胴羽目:源頼朝の富士の巻狩り (右側に富士山と思われる山があります)
1192年に源頼朝は征夷大将軍に任じられ、その翌年1193年に源頼朝が多くの御家人を集め富士の裾野で行った大規模な巻狩のこと。
背面の胴羽目:民の竈門
仁徳天皇の逸話の一つ。仁徳天皇が高台に登ってみると、人家の「かまど」から炊煙が立ち上っていないことに気づかれました。そこで租税を免除し、民の生活が豊かになるまでは、お食事も着るものも倹約され、さらに、宮殿の屋根の茅さえ葺き替えなかった。その結果、また、煙が見えるようになったことを喜んで「高き屋に のぼりて見れば煙立つ 民のかまどは賑わいにけり」と詠われたという。
左面の胴羽目:不明
右面の脇障子:不明
左面の脇障子:不明
腰羽目は3面(右面・背面・左面)とも鯉
コメント:「民の竈門」は普通、家から煙が出た改善した状態を彫刻すると思うのですが、この神社では改善前を彫刻していました。
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