埼玉県・八雲神社 | 神社に隠れていたモノ

神社に隠れていたモノ

神社の彫刻を見て、何の物語か教えてほしいと思ったことがあり、調べた結果をブログします。タイトル「神社に隠れていたモノ」は覆屋の中にこんな素晴らしい彫刻が隠れていたのかという思いから付けました。

2022年3月26日 埼玉県東松山市本町の八雲神社に参拝しました。

 

由緒

本町八雲神社の創建年代等は不詳ながら、宿場町として発展した松山町に天王社として祀られ、明治維新後は八雲神社と称して無格社に列格、大正3年松山神社に合併され、松山神社境内飛び地となっています。

 

本殿

 

 

右面の胴羽目:須佐之男命の八岐大蛇退治
八岐大蛇は毎年やって来て娘をひとり食べていた。今年もその時期になり櫛名田比売が生贄になるという。須佐之男命は八岐大蛇を退治するため、櫛名田比売の両親(足名椎、手名椎)に強い酒を8つ用意させ、八岐大蛇がくるのを待った。やがて八岐大蛇が現れ、門の前に置かれた酒を飲み始めた。そして、酔いが回り八岐大蛇が眠ったところで、須佐之男命は八岐大蛇を切りつけ退治した。大蛇の尾からは一振りの剣が現れ、須佐之男命はそれを「天叢雲の剣」と名付け、姉である天照大神へと献上した。

 

背面の胴羽目:天岩戸
天照大御神は須佐之男命の悪行を怒り、天岩戸と呼ばれる洞窟に隠れました。太陽の神が隠れたため世界は真っ暗になり、作物が育たなくなり、病気になったりと災いが発生した。困った八百万の神々は天安河原に集まり、策を考えます。最初に、鶏の鳴き声には太陽の神様を呼ぶ力が有ると言う事で鶏を集めて鳴かせたが扉は開かず失敗。次に、天宇受賣命が伏せた空桶の上に立ち、激しく桶の踏み鳴らし、次第にボルテージを上げ、やがて胸をはだけ熱狂的な踊りを披露します。それを見た神々は大きな笑いを上げ、騒ぎ立てます。すると、その騒ぎが気になった天照大御神は天岩戸を少し開け、外の様子を覗きました。その瞬間、入り口の傍らに控えていた天手力男神が天岩戸をこじ開け、天照大御神を外に導いたことで世界に太陽の光が戻ったとされます。

 

応神天皇誕生
神功皇后は仲哀天皇の妃。仲哀天皇が熊襲征伐で敗北し戦死。その後、熊襲征伐を取り止め、朝鮮半島に出兵(三韓征伐)し服属させたという。その時、神功皇后は身籠っており、お腹に石をあててさらしを巻き、冷やすことによって出産を遅らせたとされる。その帰路、筑紫の宇美で応神天皇を出産したと伝えられている。

 

左面の脇障子:大己貴命の化鳥退治
第8代孝元天皇の御代に大己貴命、少彦名命の二神が力をあわせ、能登の鹿渡浦で化鳥を退治し、邑知潟で大蛇
を退治し、能登の国を平定したという。

 

右面の脇障子:少彦名命  (大己貴命と共に化鳥退治をしたことからの推測)

 

大己貴命が化鳥を退治しています

 

腰羽目に唐子などを彫刻している。

 

右面の腰羽目:唐子遊び--太鼓を打つ唐子と踊る唐子

 

右面の腰羽目:唐子遊び--獅子舞

 

背面の腰羽目:唐子遊び--角兵衛獅子  獅子の面を被った子供が笛、太鼓の音につれて踊り回り、逆立ちやブ
リッジなどの曲芸を見せるもの。多く正月などに舞い歩き、災いを除くといわれる。

 

背面の腰羽目:唐子遊び--闘犬

 

左面の腰羽目:唐子遊び

 

左面の腰羽目:唐子遊び--闘鶏

 

正面の扉:中央に龍、 隠れ蓑・巾着などの宝尽し、獅子  両脇に鳥

 

コメント:箭弓稲荷神社を手掛けた彫刻師の飯田岩次郎さんの作品。間近で見られるため、箭弓稲荷神社よりも好みです。