埼玉県・手白神社 | 神社に隠れていたモノ

神社に隠れていたモノ

神社の彫刻を見て、何の物語か教えてほしいと思ったことがあり、調べた結果をブログします。タイトル「神社に隠れていたモノ」は覆屋の中にこんな素晴らしい彫刻が隠れていたのかという思いから付けました。

2022年3月26日 埼玉県比企郡嵐山町吉田の手白神社に参拝しました。

 

由緒

手白神社は、鏡浄呂池の堤が度々破れたことから、時の村長蘆田基氏が、祀られていた鏡津官弁財天に参詣したところ、手白香姫のご神託を得て天治2年(1125)に創建したといいます。手白香姫は、兄の武烈天皇の政治に苦しむ民衆を救うため、内裏を離れ当地に来て広く里人から慕われたと伝えられ、懐中から鏡を水底に落としてしまったことから、村人はその池を鏡浄呂池と呼び、弁財天を祀ってきたと伝えています。大正二年に峯野神社と同境内社琴平神社、五龍神社、六所神社、厳島神社(鏡津宮弁財天)の五社を合祀しています。当社本殿は、合祀した六所神社の建物で、合祀に際して移築したもので町有形文化財に指定されています。

 

鳥居と御神木
御神木は推定樹齢800年の大杉。樹高36m、幹周5.03m。御神木の大杉はもう一本あったが、(2014-2016年頃に)伐採された。

 

拝殿

 

懸魚:鶴  中備:龍

 

唐破風下:櫛名田比売と須佐之男命

 

本殿と玉垣

 

本殿

 

右面の胴羽目:中国二十四孝 陸績
陸績は6歳の時に陸績は父に連れられて袁術という太守を尋ねました。袁術は陸績におやつとして蜜柑を与えました。陸績はその蜜柑を3つ懐に入れて、帰ろうとしたところ、袖から蜜柑がこぼれてしまった。袁術は「陸績君、蜜柑をひそかに懐にするのは卑しい振る舞いだぞ」と言うと、陸績は「家に持ち帰って母に食べさせたかったのです」と言い訳をした。袁術はこれを聞いて「幼いのに親孝行な子供である」と褒め称えたという。

 

背面の胴羽目:中国二十四孝 剡子
剡子には、年老いた両親がおり眼を患っていました。鹿の乳が眼の薬になると聞き、剡子は鹿の皮を身にまとい、鹿の群れに紛れて入りましたが、そこへ猟師が本物の鹿と間違えて剡子はを射ようとしました。剡子は「私は本物の鹿ではありません。剡子と言う者で、親ために鹿の格好をしているのです。」と話しました。猟師は驚きながらも非常に感心し、剡子は難を免れました。剡子は鹿の乳を手に入れ、親孝行をする事が出来たという。

 

左面の胴羽目:中国二十四孝 楊香
ある日のこと、楊香は父と一緒に山へ薪を取りにいきました。すると、虎が出てきて父を食べようとしました。それを見た楊香は自分の身の危険もかえりみず、急いで虎の首に両手で飛びかかりました。虎は楊香の捨て身にの行動に驚いて逃去り、父は虎に食われることなく、助かったということです。

 

右面の脇障子:鷹

 

左面の脇障子:鷹

 

コメント:剡子が悪びれずに笑顔で猟師に挨拶しています。また、楊香の父も虎を楊香に押し付けているように見えるのが、笑えます。