埼玉県・妻沼聖天山 歓喜院 その1/3 拝殿・本殿 | 神社に隠れていたモノ

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神社の彫刻を見て、何の物語か教えてほしいと思ったことがあり、調べた結果をブログします。タイトル「神社に隠れていたモノ」は覆屋の中にこんな素晴らしい彫刻が隠れていたのかという思いから付けました。

2022年5月15日 埼玉県熊谷市妻沼の妻沼聖天山 歓喜院に参拝しました。

 

彫刻が多いため3つに分けて記載します。

  その1/3 拝殿・本殿 胴羽目彫刻

  その2/3 本殿 腰羽目彫刻など

  その3/3 本殿 板戸や中殿

 

由緒

埼玉県熊谷市妻沼にある高野山真言宗の仏教寺院である。日本三大聖天の一つとされる。斎藤別当実盛公が大聖歓喜天を治承三年(1179)にお祀りしたことに創まります。

妻沼聖天山歓喜院の本殿「聖天堂」は、宝暦10年(1760年)に再建されました。彫刻師が聖天堂自体を彫刻化したと言われる程、建物の周囲がすべて華麗な彫刻で覆い尽くされており、また、日光東照宮の創建から百年あまり後、装飾建築の成熟期となった時代に建造されたことで、江戸中期を代表する装飾建築物といわれています。修復後、①彫刻技術の高さ ②庶民の浄財を財源として建立されたこと ③出来るだけ建築当時の技術に沿って修復したこと などが評価され、2012年に国宝に指定されました。

 

仁王門  国登録有形文化財。1658年(万治元年)の創立と伝えられています。

仁王像

 

拝殿

 

拝殿向拝

 

唐破風下:琴棋書画  中備:龍

 

黄河上流・「龍門」という急流を登りきった鯉が、龍に変身し天空を駆けるという「登竜門」の伝説がある。
それによると、「鯉」⇒「鯱」⇒「飛龍」⇒「龍」へと変身するといわれています。拝殿向拝の持送にある鯉、鯱、飛龍と、中備の龍で登竜門の伝説を表現している。

持送:鯉  鯱(シャチ)

持送:飛龍

 

ボランディアガイドによる聖天堂の説明が10時よりあったため参加しました。ガイドは1日7回あります。
本殿への拝観入口 拝観料は一人700円


本殿と玉垣

 

1670年に焼失。1735年に聖天堂再建開始。1742年に本殿完成。1779年に末社などが完成する。起工より44年の歳月と工費二万両と長い年月と多額のお金が費やされたという。
250年の時の流れとともに生じた傷みや、剥落した彩色を修復するため、7年間の歳月(2003~2010)と多くの費用(総工費は約11億5900万円、周辺工事を含めると約13億円)が費やされました。(修復前の状態が熊谷市HPに掲載されています。)

本殿の左面

 

本殿の背面

 

本殿の右面

 

胴羽目3面は、「七福神」の遊ぶ様子を主な題材として、右面(南面)から背面(西面)、左面(北面)へと全て繋がっています。さらに背景の雲、流水、植物などで四季の移り変わりを表現すると共に、あたかも時空がつながった一連の絵巻物を見るかのような、壮大な風景が表されています。

  *** 植物で四季の移り変わりを表現しています。
   左面が春の植物(梅竹)。背面が夏の植物(桐・笹・牡丹)。右面が秋冬の植物(蜜柑・椿・水仙)。
      
左面の胴羽目:寿老人が鶴に餌をやり、傍には亀で遊ぶ子供がいる。春の植物である梅竹。

 

背面の胴羽目(左):魚を抱えた子供が大黒の俵の上で遊び、傍で恵比寿の釣竿を引きあう子供。植物は梅・桐・笹。

 

背面の胴羽目(中央):布袋尊と大黒天が碁を打ち、恵比寿天が観戦している。夏の植物である桐・笹・牡丹。
1760年に再建された当初の碁盤面は塗装が剥落していたために復元できなかったため、江戸時代の名勝負と云われる江戸時代の棋聖・本因坊道策と、その弟子の熊谷出身の熊谷本碩の対局から碁盤面を引用している。

 

背面の胴羽目(右):布袋様の袋の上で傘鉾をさし、小太鼓をたたく子供たち、布袋袋を引っ張る子供。夏の植物である桐・笹。

 

右面の胴羽目:吉祥天と弁財天が双六をして、毘沙門天が観戦している。秋冬の植物である蜜柑・椿・水仙。

 

 **この胴羽目彫刻3面に、福禄寿がいません。昔の七福神には、寿老人を福禄寿と同体異名として除いて、吉祥天を加えて七福神としていたことがあるためです。

 

コメント:拝観料が必要ですが、間近で素晴らしい彫刻を見ることができます。

 

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