昔の人が巨大津波を見て書いた古文書を信用していなかった地震学者が今に成って古文書を読み出した | バビル3世(V)o¥o(V)AIは仏陀に成るの(@_@;)真空無我*人牛倶忘*正義道徳良識

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昔の人が巨大津波を見て書いた体験談の古文書。
それを信用していなかった地震学者が、今に成って古文書を読み出した。
アホとしか言い様が無い。
普通は、体験談の情報を元にして現地海岸付近のボーリング調査をして
津波の被害予想を計算する数式が正しいか考えるものなのに
古い地震学者は数式が絶対正しいとして、
数式に矛盾する内容が書かれた古文書を嘘だと決めつけたらしい。
津波の高さや被害を計算する数式を考えたのは、東北大学の老人教授らしい。
その様な馬鹿な教授は切腹して責任取って欲しい。

海岸付近や海岸から少し離れた池などの地層のボーリング調査を早くやって、
3連動型東海地震の最大級の津波の高さを詳しく知るべきだと思う。


引用***
東日本大震災を受けた県内の津波対策の前提となる最大級の津波として、
室町時代の1498年に起きた明応東海地震が新たに位置付けられることになり、
県の「津波浸水想定検討部会」が2日、
同地震による津波の浸水深が
鎌倉で最大10・3メートルに達したとの計算結果をまとめた。
今後、浸水深や浸水範囲を示 した地図を作成し、避難方法の見直しなどに役立てる。
県は従来、
1703年の元禄関東地震を最大津波として被害想定をまとめていた。
だが、震災を受けた再検証の中で、
津波が鎌倉の大仏まで至ったとされているものの詳細な記録がない
明応東海地震についても可能な限り調べ、津波の規模を想定することにした。
計算の結果、鎌倉で浸水深が最大となったほか、
相模湾東側で6~7メートルと高くなる傾向が出た。
元禄関東地震についてもあらためて計算したが、鎌倉は9・6メートルだった。
また今後、1605年の慶長地震についても計算を行う。
同地震は、揺れが強くないのに高い津波が押し寄せる「津波地震」だったという。
県は今後の対策について
(1)頻度は低いが大きな被害をもたらす最大級の津波
(2)最大級より発生するが波高は低い津波
―の2段階を基本とする方針。
明応、慶長、元禄の各地震を最大級とし、年度内に浸水予測図を作成する。
部会長の柴山知也・早稲田大学理工学術院教授(海岸工学)は
「臨海部の住民や観光客を守るため、
明応地震の想定結果を避難計画などに取り入れていきたい」と話した。

(カナコロ)
***

引用***
室町時代の1498年に発生した大地震
明応東海地震」で、
古文書の記録や伝承から、
静岡県沼津市で津波が斜面を駆け上り
標高36メートルを超える地点まで達していた
可能性があることが15日、東京大学地震研究所などの調査で分かった。
東日本大震災では、
岩手県宮古市の斜面を39・7メートルまで
津波がさかのぼったとする調査報告がある。
静岡県は東海地震の津波被害の想定として
1854年の安政東海地震を目安としているが、
東大地震研の都司嘉宣准教授は
「明応東海地震の津波の高さは安政東海地震の3~4倍あり、
防災指針を見直すべきだ」
としている。
国の地震調査研究推進本部によると、
明応東海地震は東海沖から四国沖の海底にある溝状の地形
「南海トラフ」沿いに起きた大地震。
マグニチュード(M)は8・3程度で、
津波が紀伊半島から房総半島まで達したとされている。
都司准教授によると、
寺院が記録した古文書などにより浸水場所を調査し、現地で測量。
明応東海地震では、
静岡県沼津市戸田の集落の「平目平
と呼ばれる地点まで津波が到達したとの伝承があり、
標高を測定すると36・4メートルだった。
平目平という地名も、
当時の津波でそこまでヒラメが打ち上げられた
という言い伝えに由来するという。
また中部電力浜岡原発(同県御前崎市)から30~40キロの
磐田市掛塚でも標高10メートルの場所まで浸水した可能性があった。
都司准教授は
「今後、津波によって運ばれてきた海の砂の層がないか調べたい」としている。
16日から新潟市で開かれる歴史地震研究会大会で発表する。


(共同)

***

引用***
室町時代の明応東海地震(1498年)で、
静岡県沼津市では津波が約36メートルまで遡上(そじょう)した可能性があることが、
東京大学地震研究所の都司嘉宣准教授らによる調査で明らかになった。
新潟市で開催中の歴史地震研究会で17日、発表した。
国の地震調査研究推進本部によると、明応東海地震はマグニチュード8・2~8・4。
静岡地方の津波による死者は約2万6000人と推測されている。
都司准教授らは、同地震の津波でヒラメがあがったという伝承が、
沼津市戸田地区の平目平に残っていることに着目。
現地で測量を行い、
海抜36・4メートルまで津波がさかのぼったと考えられると結論づけた。
静岡県の津波対策はこれまで、1854年の安政東海地震をもとに行われてきたが、
都司准教授は
「明応の津波は、安政の3倍程度高い。
1000年に1度の津波でも人命を守るには、
明応の津波を考慮して避難所を設定すべきだ」
と、見直しを求めている。

(読売新聞)
***

引用***
1498年の明応東海地震で、
静岡県沼津市で津波が駆け上がった高さ(遡上〈そじょう〉高)が
36メートルに達していた可能性があることが、
東京大地震研究所の都司嘉宣准教授らの調査でわかった。
17日、新潟市で開かれた歴史地震研究会で発表した。
明応東海地震では、大津波で多数の死者が出たとの記録が残るが、
津波の高さはよくわかっていない。
都司さんらが、静岡県内の津波伝承が残る地区の標高を調べたところ、
ヒラメがあがった」という伝承が残る沼津市の平目平という
場所の標高は36メートルだった。
ほかの地点でも6~22メートルという推定値が得られ、
大津波で知られる宝永(1707年)や安政(1854年)の東海地震よりも
高いことがわかったという。
伝承にはあいまいさがあるが、これらの地震は避難計画の前提となっており、
見直しが必要になりそうだ。

(朝日新聞)
***

引用***
88年前の9月1日。
関東大震災では相模湾も津波が襲った。
江戸時代は津波で寺が流され、
室町時代にも鎌倉の大仏まで津波が達したとする記録が残る。
大津波に襲われた東日本大震災と過去の古文書を教訓に、
「千年に一度」の対策の必要性を、専門家は訴える。
1923年9月1日の関東大震災。
当時の県警察部がまとめた「大正大震火災誌」によると、
津波で岩村(現・真鶴町)で50戸が流された。
藤沢では高さ1丈(約3メートル)の津波が襲い、4町(約440メートル)の距離をのぼった。
鎌倉市材木座の光明寺でも、本堂まで津波が到達した。
さらに古い時代にも津波の記録はある。
三浦市南下浦町松輪の福泉寺。
以前は海岸近くにあった同寺は、1703年の「元禄地震」で津波に襲われた。
「伊兵衛一家4人、市左衛門一家3人。
過去帳では16人が地震当日に亡くなっている」と鈴木元奘住職。
海から約50メートル、海抜10メートルほどの地点にある当時の寺の跡地に立つと、
いかに巨大な波だったかが目に浮かぶ。
「隣の湾からも山を越えて波が押し寄せ、お墓ものまれた。
漁師によると、今も海底に墓石があるそうです」と鈴木住職。
だから、現在の同寺には元禄期以前の墓石がない。
同じ地震の記録は平塚市にもある。
同市博物館の早田旅人学芸員によると、
京都へ向かう下鴨神社の神官が地震2日後の様子を
「馬入の渡しの船が津波で流され、村の家がことごとく倒壊した」
と記している。
現在は海から800メートルも離れた鎌倉・高徳院の大仏にも、
室町時代に津波に洗われた記録がある。
1498年の「明応地震」。
大仏の由 来をまとめた江戸時代の「鎌倉大仏縁起」にはこの地震による津波で
「由比の浦浪激揚(げき・よう)して大仏内の堂・二王門・三門・十二楼等の
仏閣僧房ことごとく流うせ」とある。
高徳院の佐藤孝雄住職は
「境内の発掘調査では津波堆積(たい・せき)物は確認されなかったが、
当時の海岸線が現在より内陸だったことも考えると、
津波が大仏殿に来た可能性も安易に否定できないと思う」と話す。
「神奈川で過去最大だったのは『元禄地震』の津波」と
東大地震研究所の都司(つ・じ)嘉宣准教授は話す。
関東大震災と同じく震源域は相模トラフで、波の高さは鎌倉で約8メートル、
福泉寺周辺では約11メートルだったとみる。
5月に発足した県の津波浸水想定検討部会長を務める柴山知也早大教授は、
鎌倉の大仏殿を壊したとされる「明応地震」にも注目する。
東海地震と同様に震源は静岡県沖と推定される。
東海地震は、国が想定している駿河湾内の震源なら、県内の被害は限定的とされる。
しかし、柴山教授が震源域を沖合に移したり、
断層のずれの方向を変えたりして再検討したら、
鎌倉でも地震発生後45分から2時間の間に9メートル以上の津波が来る可能性があった。
「JR鎌倉駅や二の鳥居まで浸水し、古文書通り鎌倉大仏まで到達する」
県が2006~08年につくった「津波浸水予測図」では、関東大震災の再来などを想定
元禄地震は、発生確率が低いとして「参考資料」にとどめた。
このため、この予測図をもとにした
沿岸自治体のハザードマップは津波を最大6~7メートルと想定している。
県内では浅瀬が続く海底や湾の地形から、鎌倉と三浦半島の先端で津波が高くなりやすい
柴山教授は
「これまで『千年に一回』と軽視されたが、低い確率であっても、来る可能性がある以上、
大津波に備えて対策を取る方向に転換すべきだ」と力を込める。

(朝日新聞)
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