今朝もやっぱり早くに目が醒めて、facebookをチェックしていて、ふと思った。

「みんな、すげぇな」って。

今の自分に誇れるものもないし、充実しているという実感がもなくて、なんか凹んだ。

 

器用貧乏、って言われるし、自分でもそう感じている。

音楽を職業にすることを諦めた理由のひとつはそれ。どんな楽器もボチボチ弾ける。けれど、これは!という秀でるものはない。マルチプレイヤーって言うとカッコいいけれど、当時はそんな中途半端な奴が喰っていけるほど甘い世界じゃない、とんでもない才能のある奴ばかりの世界に飛び込む勇気はなかった。

スペシャリストとゼネラリストという言葉も職業柄考えることがある。

ボクはスペシャリストはいらない時代だと考えている。けれど、スペシャリストを「専門バカ」と揶揄することも目にするけれど、それは違うなと感じた。スペシャリストは確かにある力が突出しているけれど、その土台は幅広い知識や経験で固められていないと、突出したものは倒れてしまう。もちろん、極めた自信は、他のことにも汎用できるだろう。

 

そろばんを6歳の頃から触ってきた。

スゴいね、って言われるとすごく嬉しいし、自信も持ってきた。

けれど、東京で塾に通っていた頃、「100傑大会」という大会が都内ではあった。塾からその出場者に選んでもらうのもやっと。大会に出ても、記憶に残っているのはせいぜい70番台くらいだったと思う。

それが長野に越してきた途端、一ケタの成績が叩き出せるようになった。それはもちろん嬉しいし、自信にもなった。けれど、東京での自分の位置を知っているだけに、所詮井の中の蛙だという思いがいつもつきまとっていた。

 

皮肉にも、転職をしたときにもっとも買われたそろばんだった。すでに教えられる人が少なくなっていたからだ。今度は指導者で頑張ろうと思ったものの、夢中で県外に出て学ぶ中で、やっぱり自分の実力のなさに凹んで帰ってくることばかりだった。せめて、自分の持っていること、学んできたことを伝えては来たけれど、それでも県外のスペシャリスト中のスペシャリストには敵わなかった。

ここ数年はとりわけ発達についてのめり込んだ。けれど、学んでも学んでも深みにはまっていくだけで到底理解をしたとは胸を張れない。

のめり込んだ、相当の力をつぎ込んだ、という自信はある。けれど、本当に研究されている人には到底敵わないし、長く実践されている方の足元にも及ばない。難しさに傾倒していく中で、本質をつかんで実践している方には「難しく考えすぎてない?」と指摘されることも多くて、それもまた凹んで、この分野から離れようかと真剣に思った。

広く深く、が理想だけれど、結局は中途半端に終わっている自分が嫌だ。

けれども、幅広く関心を持とうとしている自分も悪くない、とも思う。

一方で、何か極めたいという焦りもある。この焦りで何度も失敗もした。

多分、定規の当て方の問題だと思う。どうしても、自分の外にある定規で考えがち。けれど、この程度、と思っている自分を必要としてくれる人もいる。もっと内側の定規を意識してもいいんじゃないのかな、と気付き始めた。もちろん、外の定規も気になるけれど。

 

教員になりたての頃生徒に「先生には、どんなことも一瞬で分かって欲しい。なんでも知っていて欲しい」と言われたことがある。それは今も鮮明に、真剣な表情と、声が焼き付いている。あれから20年以上経つけれど、やっぱり中途半端な自分がふがいない。

 

けれど、言い訳めいているけれど、なんでも完璧だったら人って近寄ってくれるんだろうか。

もうこれで十分、って突き詰めたら、その先はどうなるんだろう。

まだまだ足りないぞ、っていう自分を認められたら、もっと懐が深くなれる気がする。

 

広く深くはきっとボクにとっては永遠のテーマ。けれど、それが完全にならないというのも永遠の宿命。それでいいのかな、と思えるようになってきたのは少しは成長した、ってことなのかもしれない。そう思えるようになってきた。

 

今朝のfacebookを見て、仲間の充実ぶりに凹んだけれど、みんな見せようと思ってやっているわけじゃない。ボク自身も極めたい気持ちは持ちつつ、それは自分の求めるものだし、それが、どこかでほんのちょっぴりでも、誰かの役に立てればいいじゃん、と思う。

 

ずっと発展途上人ですから。それでいいんじゃないかな。緩くいこう。