ここ数年で読んだ本は、雑誌を除いても300冊を超えると思う。
とにかく、必死だった。どこかにヒントがないか。ご迷惑をかけながらいろんな方にヒントを求めた。ネットもフル活用、その裏付けや補足としても、書籍は山のようになった。
その中で勧められた1冊の絵本がある。
「ぼくを探しに」
絵は単純だけど、深い内容で、どう解釈しようか、毎日のように読み続けた。一時期気持ちが落ち込んで開けなかった時期があったけれど、最近また開いては、もちろん自分に当てはめながら考えている。
受け取り方がそれぞれなので、ボクの場合、としてお話させて欲しい。
この本は、丸になれない、欠けたところがある主人公が、丸になりたくて、その欠けたところを探しに歩く物語だ。最後は、欠片はみつかるけれど、何か不自由で、「ボクはボクのままでいいんだ。欠けたままでボクなんだ」と気づいて終わる。
自分のようだと、読むたびに感じる。どんな自己啓発よりも考えさせられた。
その前からよくしていた話がある。
「フリーハンドでまんまるを書いてごらん。できるだけ完璧に。
実は、数学的に、道具を使っても真円って書けないんだって。
自分の書いたまんまるをみてごらん。凸凹しているところがあるだろう。
そこが個性なんだよ。だいたい丸だ、と思えたらそれで十分じゃん」
我ながらいい話をしていると思うけれど(笑)、人にはそう言えても、自分自身に当てはめると許せなかった。足りないところを補って、完璧になりたい。それをひたすら求めた。
焦り続けていた。
欠点だらけの自分が許せなかった。人生は、その欠点を埋めるためにあるんだと信じていた。自分が70点の人間なら、100点を目指すものだ、と。
けれどもそれは大きな間違いだった。どうして歪な形の自分を認められなかったんだろう。少しくらい、形の崩れたことを「まぁいいや」と思えなかったんだろう。「ぼくを探しに」の主人公もちょうどいい欠片を見つけたけれど、今度は苦しくて吐き出している。
子どもが小さかった頃、ボクも若かった頃、出会った「大きな木」という絵本。相手を思うこと、与えることって何かを考えさせられた絵本だ。実はこの「大きな木」も「ぼくを探して」も作者は同じ人。シルヴァスタインだ。
自分、家族の欠片を探す旅は続く。それはきっと悪いことではない。けれど、それもやりすぎると苦しくなる。欠けている自分も魅力的じゃないか、そうは言うけれど、できれば欠けたところがないようにしたいという気持ちは消えない。まして、自分の至らなさで迷惑をかけた方があまりにも多すぎる。
けれどこれから先は、旅は続けるけれど、欠けた自分を認められる、欠けているからこそできる、そんな自分を探す旅にしたい。そんな成長を目指す。そう決めた。


