ご心配してくださっている方、ありがとうございます。

先月から教会に日参してました。

毎日ご聖体訪問してお祈りに行ってました。

ご聖櫃と呼ばれる前で一時間くらい祈ります。もう16日以上になりました。

今日はさすがに疲れが出たのか、寝込んでしまいました。

明日というか今日は心療内科に行く予定です。

何とか
生きて活動しております。
(*- -)(*_ _)ペコリ



ご心配をおかけしております。

メールやお電話、アメブロにコメントやメッセージをくださった方

本当にありがとうございました
(*- -)(*_ _)ペコリ

少し気持ちが持ち直してます


夢をみました。

大群衆の中を、イエズスさまはおひとりで歩いておられました。
人々はイエズスさまを見もしないで、願うだけ願い、叶わないと吐き捨てていました。願いのほとんどが自分勝手な欲望でしたので、願えば願うだけ、イエズスさまを石つぶてを投げつけて傷つけるだけでした。

イエズスさまのお召し物は金色の縁取りのある白い布でしたが、汚れた欲望の石つぶてで汚れ、ぼろぼろになってました。
大半の人々は、欲望が叶わないことで、イエズスさまをののしり、イエズスさまを傷つけていました。

私はぼろぼろのバスに乗って、イエズスさまが歩いて来られるのを見ていました。

そのバスは長く患う病人や貧しい人が乗っていましたが、そのバスに乗ることができるのは、キリストに犠牲を捧げておなぐさめすることの意味を本当に理解している人だけでした。

イエズスさまはバスに乗られると、私を見てホッと息をつかれ、微笑まれました。そしてイエズスさまご自身が特別なものを作ってくださって、バスの中の人々に授けてくださいました。
そして『あなたにはたくさんいるだろう』と、私にだけ腕いっぱいにくださいました。

バスのおもてには『止まって』と書いてありました。健康な人、普通の生活を送る人に立ち止まって、病人や貧しい人々をかえりみて欲しい、と言う意味でした。

苦しみは、キリストをなぐさめる。癒す。それを理解して欲しい、自分の思い通りではなく、苦しみのバスに乗って、キリストのみ旨通りに生きて欲しい、という呼び掛けのバスでした。

私も叫んでいました。イエズスさまの思い通りに!と。

すると子どもたちが何人か乗って来ました。そのバスに乗れるのは、子どもの素直さとまっすぐな思いやりでイエズスさまを愛する人しか乗れないと言われました。 ふと見ると、弟も乗っていました。嬉しかった。

目が覚める時、説明を受けました。
私は、胸のつかえがとれて、自殺念慮がなくなりました。イエズスさまの微笑みは、素晴らしいものでした。

私の40年以上の病気の苦しみに、イエズスさまはなぐさめられたと喜んでおられました。そして、私が罪を犯していても、その苦しみで償われている。イエズスさまは、気にしておられないと言われました。私の花嫁よ、と私に呼び掛けられました!

シラクサのマリアさまとヤスナグラのマリアさまにお願いして、見せていただいた夢でした。

心配してくださった皆さまの思いが、マリアさまに通じたのです。

本当にありがとうございました
(*- -)(*_ _)ペコリ
身体中が痛い。

生まれて来たくなかった。

生まれてから幸せな時期なんて
一度もなかった。

虐待され 親から踏みくちゃにされ
犯罪に巻き込まれ

病気は治ったこともなく
毎日痛み苦しみが続く

生きてる意味なんて 私にはない

何の役にも立たない私に

生きる資格なんてない