不可侵の書斎

不可侵の書斎

妄言多謝

気づけば最後の更新から7年もの月日が経った。

今回は、現役で活躍する私の師匠お3方への愛を一方的につづる。

 

考え方の師匠は、内田樹師匠である。

内田師匠の書くものを読むにつけ、人間の思考はここまで伸びやかなのかと驚かされ、元気をもらってきた。

内田師匠がレヴィナス師を勝手に師と仰いでいるのを知り、それならばと、私も内田師匠の許しを得ることなく私の師とすることに決めた。

内田師匠からは、物事に接したときからメリット・デメリットを全てわかっているという資本主義社会の消費者的視点に立つことが、最も学びを阻害するものであることを教わった。経験する前には、経験した後にそれがどう見えるようになるのかさえ分からない。経験した後で(しかも、ときにずっと後になって)、事後的にその経験の意味を初めて知ることができる(かもしれない)。これが、学ぶ者が自覚すべき立ち位置である。

私がこのことを内田師匠から教わったと思っているのも誤解かもしれない。内田師匠の思索の結果を正確に理解しているはずもないのだが、たとえ誤解ではあれ、師から学びたいという姿勢さえ持てば如何様にでも学べるということを教えてくださったのも、また内田師匠である。

 

世界を見る視点を与えてくれる師匠は、辺見庸師匠である。

辺見師匠の作品はいくつも読んだが、最も好きなのはハノイ挽歌である。私が2007年(20歳)で、初めて一人旅をした地がベトナム・ハノイであった。その後にハノイ挽歌を読んだ。私はハノイ挽歌を読んで以降、陸路・空路でハノイに複数回行ったが、もはや現実のハノイには何の関心もなかった。私は、辺見師匠が1990年代に経験したハノイの幻影を探していたにすぎなかった。いや、実は、辺見師匠が描いたハノイも、その当時においてすら失われ、辺見師匠が自らの夢を仮託したハノイだったのだが。

ここで言う「ハノイ」は比喩にすぎない。私は世界が見たいのではない。辺見師匠の眼を通して見える世界が見たいだけなのだ。

 

旅の師匠は、沢木耕太郎師匠である。

多くの若者がそうであったように、「深夜特急」を読んで受けた影響は計り知れないものがある。私が一人旅をするようになったのは2007年。当時はすでに、インターネットが普及をし、旅人も旅先のインターネットカフェで情報を集める時代であった。生まれるのが遅すぎたとどれだけ悔いたことか分からない。

子曰く、「ひとり旅の道連れは自分自身である。周囲に広がる美しい風景に感動してもその思いを語り合う相手がいない。それは寂しいことには違いないが、吐き出されない思いは深く沈潜し、忘れがたいものになっていく。」(「旅する力 深夜特急ノート」新潮社)。私がSNS時代になってもSNSでの投稿を一切しないのは、いつでもひとり旅をしているつもりだからなのかもしれない。