母の手紙 | 空太郎との生活

母の手紙

今日は、空とも犬とも全く関係ない話なので、お暇な方のみ寄っていってください。


昨日のシオリとモッチイを見ていて、母の思いを思い出しました。

母の事にいっぱい思いを馳せました。


マスコミ、ワイドショー、報道、大好きだった母。


あの世から、

「恥ずかしいわあ~」

って言いながら、嬉しそうに微笑んで見てくれてると思います。


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母が亡くなって今年の12月で七回忌を迎えます。


ずっと元気だと信じていた母が病に倒れたのは、2002年の夏でした。

だから、私は夏は怖い。空の二回の大病もみんな夏だったから・・・


私が離婚してすぐに病気になってしまった母。

私は自分を責めた時期もありました。


母はね、離婚が悲しかったんじゃなくて、何も相談せず一人でそこまでの気持ちを抱えさせた腹立たしさを(私にも自分にも)感じていたようでした。



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<米子労災病院病室からの明け方の大山>


その母が半年以上、痛みに耐えながら病院に行かず働いて、我慢しきれず病院に行った時には、余命三カ月の末期癌でした。


半年仕事を休職し、母のもとで18歳以来ろくに親孝行もしなかった母と一緒に過ごしました。

半年後、亡くなるまでの2年ちょっと、米子と行ったり来たりの生活が続きました。



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<退院祝いの席で>               <私たちの米子での手作りのお披露目会>

そんな母からのpapaしゃんと再婚する時にもらった手紙です。


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大ちゃん、綾乃

お目出度う。こんなに嬉しい日が来るなんて想像もしていなかった。本当に良かったね。

皆に自分のことのように祝福されて、これもすべて大ちゃんの人柄を皆が判ったからです。

始めは、私はかたくなに大ちゃんを拒否して来ました。

親として大ちゃんを理解しようともせず、二人には本当につらい思いをさせて悔いています。

そんな私を怨みもせず、自分の親以上の優しさで大ちゃんは尽くしてくれました。

今では生き方、人間性、すべて尊敬して居る程です。

顕や敏実と同様兄弟とも思っています。

そんな大ちゃんを選んだ綾乃はすごいと思います。


思い出せば高校を出て、大学に入ってから、全くと言って良いほど、親子の会話や思い出もなく、時折入学前の表参道のウインドショッピング、ルミネのカレーの味、相模原の夕方、買い物に疲れて電気が通っていないアパートで過ごした何時間を思い起しています。

そんなわずかばかりの一齣一齣を大切にして来ました。

見知らぬ土地に一人残して、じいさんと羽田へ向かう時、初めてべそをかいた綾乃の顔、忘れません。

あぁここで親離れ子離れする時だから頑張らなければと飛行機の中で綾乃から貰ったお礼の手紙を読んで米子に着くまでぐしゃぐしゃに成るほど涙しました。

そんな思い出も昨日のように目に浮かびます。


そんな時、神様が突然過酷ともいえるこんな病気を与えられたけど、それを機に私の為に仕事で疲れているのに、毎月来てくれてどんなに嬉しかったでしょう。

終いには今度来る日を待つように甘えてしまって!!


二度の手術に耐えられたのも そばにいてくれるだけで きっと、治ると信じられたからです。

4月一四日にH先生から、

「あと何カ月とは云えない。出来るだけ楽しく過ごして下さい」

と云われたけど、このままでは、皆に尽くして貰ったり、優しい愛を貰ったり、このまま引き下がる訳にはいきません。

一回でも二人の顔を多く見られるようあらゆる可能性に挑戦して、一日でも多く生きようと思っています。

今後ともよろしくね。

これから先 いろいろ有るでしょうが、二人力を合わせて仲良く暮らして下さいね。


大ちゃんの仕事への情熱、バイタリティ、綾乃の冷静な判断、二人の人格を尊重し合って良い人生を送って下さい。


私はどんな所に居ても貴方達、顕、敏実の家族の幸せを守ります。


最後に静岡のご両親へ、心から感謝していますこと、伝えて下さい。


幸せにね。


私の宝物

  大ちゃん

  綾乃へ

                 六月吉日 

                      母より



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お母さん、道に迷ったりすることもあるけど、幸せだよ。


ありがとう。