またまたNEWSが
人員整理?削減?しちゃったねあせるあせる


最初は9人でスタートしたのにね~(:_;)


山Pに錦戸くんが脱退したら
残るはあと4人…


一人ちょっとゴタついた感のある
KAT-TUNよりも(ファンの人、ごめんね)
もっと気の毒だね(ノ_・。)


小山くん
加藤くん
テゴマスの二人音符音符


めげずにもっともっと頑張ってねp(^^)q









1日は次女
2日は孫3の2歳の誕生日でしたクラッカークラッカー


お祝いメッセージを下さった方々
有難うございましたILOVEYOU


お陰さまで全員
健やかに成長しておりまして
何物にも代えられない
幸福感でいっぱいでございますはーと


先日、3人の通う保育園の
運動会が土曜日にありまして


長女、3女と共に
応援に駆け付けましたのでござりますブタ


今年2回目の孫3(のクラス全員)が
鉄棒に数十秒も
ぶら下がる事が出来たのに驚き、


やはり今年2回目ながら
年少クラスに当たる学年に通う孫2は
未熟児ゆえの体の小ささに加え
母親譲りのマイペースぶりを発揮し、
かけっこの途中で歩き出してしまい
泣くかと思いきや
破顔一笑でゴールしたのに大笑いあは♪


そして、ブリッジや3点倒立や側転を
既に去年 皆、身につけている、
年長に当たる孫1の学年は今年
なんと跳び箱に挑戦ええ!!


体が大きくて鈍な孫1も
7段までクリアキャ
アスリートなお子さんなんか
9段まで跳んじゃってたビックリ


いくら踏み板がバネになってるとはいえ
園児が!!ってもうビックリぶふっ


こんな感じで
相当な見応えが
あった運動会でしたよニコ


親の競技にも
積極的に参加してる
次女夫婦にも
好感持てたし
お子達も嬉しかったんじゃないかなsei
うちら夫婦は殆ど
参加しなかったからね~あせあせ。


運動会がこれからって親御さんたちは
是非とも参加してあげて下さいねラブラブ!


そして、親子共に
記憶に残る会にしてあげてね~ラブラブ!












ペタしてね





ふだんは引きこもりな私が
連日出かけておりまして…


昨日は赤坂actシアター
行ってまいりました幕


演目はシェークスピアの有名な
「ロミオとジュリエット」音符


…なんだけど現代版!?風で
ロックテイストな曲や
派手なダンスシーンもアリの
面白い演出だったな~嬉しい (ワハー♪)


2001年に、
フランスで生まれたこのミュージカルの
今回は日本オリジナル版だとかで


な な なんとビックリ
携帯やPCも出てきちゃうっていううぎゃっ


そりゃそうだ!
あの時代、写メなんか撮らんわ!って
ツッコミ入れたくなっちゃったね汗


ま、城田優くんの
美しい立ち姿に加え
切々と歌い上げ、
懸命に踊る姿笑を観られて
それだけでもメッケモンだったかもウインク
勿論周りは素晴らしい
芸達者さんだらけなんだよ拍手♪


各国で凄くヒットしたらしい
この作品だけど、
私は奇をてらわず、普通に
古典としての美しさで
勝負してほしかったな音符♪


謎の時代背景、
エキセントリックな舞台は
劇団☆新幹線にお任せしちゃって…ねw










ペタしてね



水曜レディースデイなので
昨日急きょ長女と行ってきました(*^▽^*)


いやもうわかりやすい!
それでいてなんと感動的なお話か!


向井君の、
ふだんの知的で クールで
甘い笑顔のイメージが
全部抜け落ちた、
渾身の演技に拍手でした拍手♪


カンボジアは
ベトナム戦争のあおりを受けて
内戦で国内がガタガタになった上に
ポルポト政権時の大量虐殺で(200万人だって。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。)
国民が皆 本来悲壮感漂ってるはずなのに
なんとみんな目がキラキラしてる!
国をよくしようと頑張りだしてる!


特に子どもたちの、
あの純な瞳と笑顔は
観る者の心を打つこと間違いなしです!!!!みどり


特に誰のファンってことなくても
みんなに観てもらいたいな音符♪


色々感じて欲しいなって
思わされた映画です音符♪





arrow_bottom以下はカンボジアの簡単な歴史です。(Wikipediaより)


詳細は「カンボジアの歴史」を参照
アンコールワットはアンコール遺跡の一つで、カンボジア国旗の中央にも同国の象徴として描かれている。

ノロドム・シハヌーク国王の下で1949年にフランスから独立後、ベトナム戦争が始まると国内は不安定化し、アメリカと南北ベトナムが介入し内戦状態となった。1968年には米軍の空爆が始まり、1970年には親米派のロン・ノル将軍のクーデターによりシハヌーク国王が追放され、クメール共和国が樹立された。内戦は一層激化し、空爆がカンボジア全域に拡大され数十万人が犠牲となると、クメール・ルージュ勢力の伸張をまねいた。1975年、極端な共産主義を掲げるクメール・ルージュの独裁者ポル・ポト政権が成立。1979年までに、旱魃、飢餓、虐殺などで200万人以上とも言われる死者が出た。 思想改革という名の元で、虐殺が行われた。教師、医者、公務員、資本家、芸術家、宗教関係者、良識ある国民のほとんどが捕らえられて強制収容所に送られた。生きてそこから出られたのはほんのわずかな人数である。 それ故に明確な犠牲者数は得られず今でも、国土を掘り起こせば多くの遺体が発掘される。(内戦前の最後の国勢調査が1962年であり、それ以後の正確な人口動態がつかめておらず、死者の諸推計に大きく開きが出ている)。1979年にベトナム軍が侵攻しポル・ポト政権を打倒。その後ポル・ポト派含む三派とベトナム、ヘン・サムリン派との間で内戦が続いた。1989年にベトナム軍が撤退、1991年10月にパリ和平協定が結ばれた。1992年3月から国際連合カンボジア暫定統治機構による統治が開始され、1993年には国連監視の下で民主選挙が実施された。この時の国連の代表が日本の明石康である。9月に制憲議会が新憲法を発布し立憲君主制を採択、ノロドム・シハヌークが国王に再即位した。

2009年12月18日、カンボジア特別法廷[4]は、キュー・サムファン元国家幹部会議長を大虐殺(ジェノサイド)罪でも訴追することを通知した。法廷は、16日までにヌオン・チア元人民代表議会議長、イエン・サリ元副首相の二人にも大虐殺罪適用を決定している。[5]