先週は忙しくて京都のサイン会を終えて次の日から来年早々に出す予定の本の校正を戻したり、読んでおかないといけない本があったリ、とても12月に回してもいい仕事までは前倒しでやれる状態ではなかったのだけど、池袋のサイン会の前日、ようやく京都で貰った分のお手紙を読むことが出来て、そうしたら、やる気に満ち溢れてしまい、一気に12月に書く予定のエッセイを一本、早起きして新幹線で東京に行かねばならぬのに、仕上げてしまいました。
そして池袋ジュンク堂へ——。14時から20時まで、約6時間のサイン会でしたが、余裕でこなします。サイン会直前までは結構緊張していましたが、始まるとアドレナリンが混ざりちょうどいいリラックスのコンディションが継続。自分でも何でこんな元気なのだ?不思議でしたが、考えれば自分のことを大好きでいてくれる人達しか来ない、ホーム中のホームなのです、気持ち良いに決まっております。
150名も大変ですよねと何時も心配されますが、作品を読むだけじゃなくそれを書いた僕にわざわざ逢いたいという人が150名、次々にやってくるのですから、大変さより楽しさが上回ります。
普通、自分を大好きでいてくれる人が6時間もの間、ひっきりなし150名、入れ替わり立ち替わりやってくる世界線なぞありゃしません。終了後、編集者が短い動画を撮ってくれていたのですが、自分でも気持ち悪いくらい笑顔で受け答えしていました。相当に嬉しかったみたいです(笑)。
何時もこうなのでしょうね(笑)。まだ池袋で貰ったお手紙は読めてないですが、贈り物の整理が終わり次第、読もうと思います。そして多分、読み終えたら、小説を書きます。既に完成した長編があるのですがそれを直します。一から書き直すことになるかもしれません。
お手紙を読むと作品として何を書かなければいけないのかがくっきりと浮かびあがります。仕上げてある作品が悪い訳ではないけれど、もっといいものに出来る筈。小説を書くのは孤独な作業といわれますが、僕の場合、お手紙に対する答えだったり、逢いに来てくれた時、一杯話したいことがあったのに眼の目にすると何もいえませんと只、泣くばかりの君への返事だったりするので、さほどその孤独が苦にはなりません。もしかしたら、サイン会で直接、手渡しされる手紙でなければ、これは自分にいい原稿を書かせる為、編集者が仕込んだニセのファンレターなのでは?と訝しがったりするかもしれませんが、震えながら、泣きながら、渡されるこれがニセモノな筈はなく……。
来てくれる人もですが、2ショットも許可の異常なサイン会、やらせてくれる書店、スタッフがあればこそなので今更ながら感謝です。とはいえ、ここまで寛大に無茶なサイン会を25年、継続してこられたのは、参加者のマナーがビックリするくらいに良いからでもあると思います。
初めて立ち会われるスタッフさんは書店、出版社、関わらず、参加者の緊張しながらも楚々とした佇まいに、胸を打たれるとお洩らしになります。心が浄化されるとまでいう方もおられるくらいです。僕や君は当事者なのでそのあたりはよく解らないですけどねぇ(笑)。
来た人から「カッコいい」といわれ、そりゃ、君にとっちゃ神でしょうし、そう映りますでしょう、半分聞き流していましたが、終了後の写真を見返したら確かにカッコいいです。前日、クレイパックもしてますしね、もう若くはないのですが、57歳にしてはそこそこ、カッコいい。というかサイン会ではカッコよくないと、君がガッカリするでしょうという気概が、この6時間だけ少しカッコいいの魔法を与えてくれるのです。だから実は今日朝起きたら、全身、思い切り筋肉痛でした。やっぱり只の還暦手前でした。
贈り物も嬉しいですが、短くてもいい、やっぱりお手紙、貰うのが励み?というか書く原動力になります。そして君が逢いに来てくれることが作品を正しい方向に導いてくれます。これを繰り返したからこそ25年も書いてこられたのですよね。ありがとう。君に返事を書くことはないのですが、常に新しい作品が前にくれたものへの返信です。
作家でよかったなと思います。というか自分だけいつもこんないい思いが出来ているのは申し訳ないです。お分け出来ないし、だから君も作家になればいいよということも出来ないので、本当に恐縮しております。料理人の最高の栄誉が三つ星ではなく食べた人の「美味しかった」の一言であるように、小説家の最高栄誉は読者の「面白かった」なので、今回出した作品もお気に召してくれるといいなぁ。と、帰りの新幹線の中でiPadのメモに書いているので文章、荒削りです。
ごめんなさい。またちゃんと書きますね。
嶽本野ばら



