大野露井さんから著書を頂き、感想を送ろうと思えど、宣伝になった方がよかろうと書評じみたものを少々。
SNSや文学フリマの底上げもあってか、最近の若い人は文章が上手いです。
だからそこには触れないことにして。
最初に収録されている「劇場」――。
針刺しを横に置いたのに特に意味はないです
ロンドンを散歩しているだけの風景画のような短編。
そこが良い。
わざわざ小説を書こうという人は何かを言いたいから書く訳ですが、彼の場合、そのモチベーションが見当たらない。
悪口ではなくて……。生田耕作が『ダンディズム』で論じたボー・ブランメルを想起させます。
ブランメルは、服にしか興味がなく、延々とネクタイの結び方を研究していたような人で、生田耕作に拠れば、
すなわち、ダンディズムは〈知性〉と〈意志〉とをつなぐ鋼鉄のくさりである。この一種の禁欲主義が到達する果ては、醜い情念をきびしく制御し終えたときに得られる、不感無感の境地である。
だそうです。
この文言をもってして、大野露井を語れた気がします。
不感無感――と書いてニヒリズムと読んでも良い。
文体や構造は海外の現代文学の影響下にある(予想)。
かつて大江健三郎は、村上春樹をフィッツジェラルドの模倣に過ぎぬがここまで完コピ出来るのは称賛に値する――というふう評しましたが、でも村上春樹には村上春樹の自我があります。
大野露井は観せないんですね、自身の自我を。
唯一解るのは、この人がロンドンを盲目的に崇拝しており、小説を書かなければと思っていることのみ。
ロンドン最強説を唱えるのですから、スノッブな作家なのは間違いなくて、「秋の夜長の夢」という作品では、わざわざ、「俥にも乗った」というふう、車でななく俥と表記したりする。
ロンドン愛好家なので、漱石の話題も出てきますが、僕の印象だと漱石より、鴎外の気質に近い。鴎外のやたらとドイツ語を混ぜてきたり(特に医学用語)、高踏の振りをして和漢に通じてます――をゴリ押ししてくる感じが、そう思わせるのでせうか。
このフィルターをかけてしまうと、大野露井は、ロンドンを語りながら、日本の近代文学の流れを、真っ向から引き継ぐ作業をしようとしている作家と位置付けしたくもなる。
なので
LONDONではなく彼の眼に映るものは倫敦です。
ペダントリーを気取るのが昔より、困難になった昨今。よっぽど博識でもチャットGPTに揚げ足をとられる。
しかし文学者はやはりペダントリーでなければ面白くないと個人的には思います。
僕らの若い時代は、プロデュースをオーガナイズと言い換えたり
編集をエディトリアルとしてみたり
言葉の定位を、ずらせていくだけで格好が付けられた訳ですが、もうそれは通じない。
茨の道、進んではりますなぁ……と敢えて京言葉でねぎらってみます。
お若いのに大変どすけど、頼もしおすわ。
地味にではありますが、彼のような若い世代に拠って、確実に文学は変革されています。
僕はもう旧世代なのでそれを見守りつつ、相変わらずなものを書いていこうと思います。
久々に開いたら、めちゃ赤線が引いてある😅
僕は本に線を引くタイプじゃないのですが
当時よっぽど啓蒙されてしまったのだろう
——生田耕作の「ダンディズム」
嶽本野ばら








