今日で本業のほうは年度末を向かえた。




私的には昨年の11月29日より60日間に渡る断酒を開始した。
その後、適酒として少量の酒を飲むようになり本日を迎えた。

期間にすれば120日余りだが自分の中ではひとつの大きな区切りとなった。


と言うのも、それまでの飲酒時代は自分の中では暗黒のような日々であり仕事に対する意欲もなく生活の質も低下し、このままでは仕事を続けていくことが困難だったからだ。
飲酒過多による当日欠勤が日常化し、このペースでの欠勤は年度末までの有給残日数を超えてしまい、いよいよ自己都合による退職もしくは会社からの解雇通告までも視野に入っていた。


このままでは全てが破産してしまう恐怖心と身体的疾患がピークに達した瞬間の、断酒を決意したあの日を忘れることは無いだろう。


そして今は穏やかに少量のお酒をコントロール下で飲んでいる。
ちなみに今夜は飲酒していない。


断酒60日後、再飲酒を開始するにあたりアルコールをコントロール出来ない全ての要因を排除する行動を試みた。


結果解ったことは、「人は自分が満たされていないと感じるとアルコールを欲する」
ということだ。


金銭面
生活面
対人関係
承認欲求…


数え上げればキリがなく、あらゆる面で人間は満たされていないと自己肯定感が低くなり、卑屈な妄想の中に飛び込んでいくことになる。


それを外的要因を以て解決することは困難だ。


例えば家人との不仲に悩みがあったとしても簡単に距離を置けばいいとはならない。

すでに作ってしまった借金を帳消しにすることも出来ない。


全て過去に選択した行動の延長線上に今がある。
もちろん断酒を決意、行動した瞬間からその軌道は正しい方向へと進み始めるが、もっとも重要なのは「ただ酒を飲まなければ良い」ということではなく、
「酒を欲してしまう思考を変化させる」
ことにある。


つまり自己肯定感を上げることだ。

人類は、本人と他人しかいない。
その他人は私の自己肯定感を上げるために存在はしていない。

自己肯定感は本人しか上げることが出来ない。

「自分は社会にとって必要な人間であり、他者から嫌われる行動を謹んでおり、誰からも愛される資格がある。
何よりも毎日を努力して生きている。」

これを思考の根底に敷いて、その上で行動することで日々結果はついて回る。


社会の悪事を恨むこともせず、身の回りの社会に貢献する。
挨拶や会話のやり取りがうまくいかない相手を責める必要はない。
他者を羨む必要は無い。なので蔑む必要もまた無い。
ブログのいいね!が少ないからといって人格を否定されている訳ではない。
変化のない日常を腐らない気持ちで繰り返している。

のだ。


目立って派手な人生を歩む人もいる。
しかし大多数は目立たず地味に暮らしている。
そこから得られるのは心の平和だ。


心の平和を維持していくために判断する。
決断する。


もう、自己肯定感が低いなどと考えている場合ではなくなる。
そうすればアルコールをコントロール出来ないことも無くなる。

飲みたくなければ飲まなければ良いし、飲みたければコントロールしながら飲めば良い。


これが11月29日から、今夜まで考えた一応の結論となった。
そして4月から新年度が始まる。
これからまたどのように思考が変化していくか、楽しんで生きていこうと思う。