祈り、って信じます?
そして、神様って、信じます?
ダンシャリーナ まき 余命あと15日です。
大晦日、新年の、節目で
新しい名前にて蘇る、と書くと大げさですねえ。
でも
関係性。
今まで使っていた名前と自分との、関係を
弔うわけですから。
名前、ですから。
今日の講座で、「はじめに言葉ありき」というフレーズが出ました。
断捨離関係では、
クリスチャンだという事を宣伝したい訳ではないのです。
ですが、ずっと私の底辺にあるのが冒頭のテーマ。
牧師の娘です。
筋金入り?の環境だったのかなと
今は思います。
だから、何度も「献身」の思いを持つ事がありました。
触れる機会が多かったのでね。
クリスチャンだからと言って全てが素晴らしい訳では
全然無いですけれど
やはり西暦はキリスト誕生が境で
そこから2020年たった今も世界で多くの信仰を
集めているのは
断捨離も本物だからと同じ様に
キリストも本物だったから、だと思っています。
本物は命。
子ども時代、学生時代、若い頃、
その時々に接する、触れる素晴らしいものに
やはり感動しました。
感動すると
「私も何か出来ることを」と
その都度思う訳です。
そしてタイトルの「私を神様の道具にしてください」
道具、の意味は
神様の愛を伝える道具
道具、とも
管(くだ)、とも言いましたね。
神様と、繋がっていなければ
私たちに命は流れて来ない。
関係性だ。
神様の愛が流れて行く
「私が伝える」のでは無く、
「愛が流れて伝わる」管
通り良き管にしてください、と
祈ったことのあるクリスチャンは多いのではないでしょうか。
ひでこ先生の家にはキリスト教以外は全部ある、と
昨日買った本にかいてあり、
少し残念というか、キリスト教と相反するものが
あるのかなと、小さな疑問が浮かびました。

それはご本人にいつか確かめてみたいと思いますが、
私は今までずっと
キリスト教の信仰と断捨離信仰?
相反するどころか
重なる部分がある・・・
クリスチャンの信仰の持ち方も
それぞれの出会い方学び方、経験で
百人百様かもしれません。
残念ながら、
信仰を持っていても不完全な人間の
不完全な理解で
生き生きとした信仰で生きる人ばかりでは無いのかも。
信仰と断捨離、で
教会の中で話せたらなと思うくらい
生活に信仰を・・という勧めと同じくらい
信仰生活に断捨離も伴いませんか、と考えています。
「信じる」行為、教会に通う、献金を捧げるという行為
その影響よりも
実は強い影響を、実は大きな影響を
私たちは自分自身が作り出した
生活環境に受けていませんか・・・、と。
長くなるのでもうあとは端折りますけれど
「神様の道具にしてください」
「神様の愛の流れる通り良き管にしてください」
祈りながら
どうなるんだろうと
そのあとの行方が気になる自分がいましたが
その祈りの応答が
私には断捨離、という形で
与えられたんだなと
今、本当に感謝しています。
腑に落ちることばかり。
祈りがまたひとつ答えられました。

私がうつ状態の時、支えになった本です。
とてもお世話になりました。
認知行動療法の厚ぼったい本はその時の私には役に立ちませんでした。
自衛隊員のメンタルヘルスを支えるお立場の
下園さん
「トレーニング」だと
しかもめちゃくちゃ簡単なステップに落とし込んで
断捨離で言うところの「加点法」
感謝できること、
うれしかったこと、を数え上げる
トレーニング。
こんなことを「トレーニング」と言うのかと
思うほど簡単シンプル。
けれどもやった事のない事を習慣になるまで
「身に着ける」のはやはり
「トレーニング」なのでした。
一日の終わりに
良かった事を数えあげ、
(こっちは無制限かな)
一つだけいやなことを思い出す。
(こちらは一つだけ厳守。)
嫌だったことについては
それをどうしたら良いか考える
今度はこうしたら良い、とか
これも学びだった、と
良い形に変換する作業をして振り返る。
それを
まずは40日400回の法則って言っていたような。
真剣に取り組めば40日、
まあまあ適当にやっていっても
400日継続する頃には
新しい習慣がその人の身に付く
さすが自衛隊。
トレーニング、にかけてはプロ中のプロ、ですものね。
この本は
私には大事な本で
感謝しかなくて
もう卒業かな そう思っても
古紙に出すには気持ちが引ける
メルカリに出品しました。
「どなたか役に立つ方の所に届きますように」の祈りと共に。
昨日、断捨離祭りの前にも
後にも、私の祈りの答だな
そう思う出会いがありました。
全部は時間の都合上書きませんが
この「下園さんの本」が売れた、と
メルカリからお知らせが来た時には
ぐっと胸に来るものがありました。
神様見てる
神様祈りを聞いててくれてる
そう信じているのだけど
普段もそう信じているのだけど
「応答」を感じると
ああホントウなのだなと
うれしくなるのです。
神様
私をあなたの道具にして下さい。
自由にお使い下さい。
改めて祈るアラフィフおばさんでした。