家族関係をめっちゃ軽くするワークショップ | 北林ちかこのブログ

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並木道を優しい風が通り抜けるように、自然体で生きたい

もうずいぶん昔のことのように感じるけれど、

まだ10年も経っていない。

 

あまり思い出したくないことではあるし、

記憶自体がいつのまにか薄らいでいて、

臨場感たっぷりに

当時のことを書けるかというと、

今ひとつ自信がないけれど。

 

私には暗黒の時代があった。

 

心に痛みを抱え、

涙しない日がない…そんな時代。

 

朝が来るたびに、

ああ、また目が覚めちゃった、

ずっと眠ったままでいたかったのに…と、

がっかりしながら起きていた日々。

 

 

アダルトチルドレンという言葉を

お聞きになったことはあるだろうか。

 

私の理解では、

元々は、アルコールやドラッグ中毒患者などを抱える、

機能不全家族の中で、

身の安全のために、

大人の顔色を見ながら育ち、

健全な心の発育が望めなかった人を指す言葉。

 

現在のアダルトチルドレンは、

大人になりきれていない親に育てられ、

子ども時代に子どもらしく生きられなかった人、

成人してからも、

自分の居場所が見つけられず、

建設的な思考展開や人間関係の構築が、

やや難しい人を称するようだ。

 

…私は典型的なアダルトチルドレンだった。

 

感情の起伏の激しい母に、

いつもほんろうされていた。

 

幼い頃の私は、

容赦なく不機嫌をぶつけられる

サンドバックのようだった。

 

ランドセルを背負って帰宅して、

まず最初にすることは、

その日の母のきげんを推し量ること。

 

母が好感を持つ人と遊び、

母が勧める本を読み、

母がやらせたい習い事に精を出し、

母の好みの服を着て、

母がOKを出す番組だけを見て、

母が好きな物を好きだと言い…。

 

母の価値観が私の価値観、

一事が万事、そんな感じだった。

 

母の機嫌を損ねることが、なによりも怖かった。

 

自分が何を好きか…なんて、

考えたこともない。

 

 

そんな子どもは大人になっても、

親の顔色をうかがう。

 

離れて暮らすようになっても、

結婚して、自身が母になっても、

なにかの選択を迫られるたびに、

母だったら、どっちを喜ぶだろう…と、

無意識に考える癖が抜けない。

 

どこにいてもコントロールされている感じ。

 

自分がどうしたいか…なんて、

そんな選択基準はなかった。

 

だから、自分の人生でありながら、

どこかいつも他人ごとのようであり、

瑞々しい感情に欠け、 

生きる喜びやエネルギーが湧かない。

 

常に生き辛さにあえいでいた。

 

だけど、…みんなそんなものだと信じていたから、

別段、それが不幸だとも思わなかった。

 

しっかりしているようでいて、自分がない。

 

堂々としているようでいて、

その実、自分の判断に自信がないので、

人の評価に左右される。

 

何が好きなのか、

何をしたいのか、

どこに行って、誰に会いたいのか、

自分では分からない…。

 

 

そんな人間が子育てをすると、

外に基準を求める。

 

子育てほど、教科書通りにいかないことはない。

 

その子、その子で、みんな違う。

 

だけど、自分に軸がない私は、

目の前にいる我が子をしっかり見つめて、

的確に判断して、対応することができなかった。

 

世間では、普通は、常識は、校則は…。

 

そんな基準で、正義を振りかざし、

子どもをがんじがらめにする。

 

当然、子どもは反発。

 

反抗期は壮絶だった。

 

我が子に憎しみのこもった目でねめつけられ、

信じられないような罵詈雑言を

浴びせられた時の哀しみといったら。

 

 

今、私と接する人は、

「なんにも悩みがなさそうで、

幸せそうで、いいわね~~。」と言う。

 

本当に。

 

あの頃に比べたら、

今は穏やかすぎて、幸せすぎて、

有難くて、涙が出そうだ。

 

どうやって、あの暗黒から抜け出してきたのかって?

 

いろいろやったけれど、

やはり一番、役に立ったのは、

心理学と断捨離だったと思う。

 

心理学で心の仕組みを勉強し、

断捨離で場を整える。

 

そうやって、

もう目が覚めなければいいのに…と思っていた私が、

お気楽に、バラがきれいだの、

空がきれいだの、言えるようになった。

 

 

母と我が子の名誉のために書き添えると、

私が変わることによって、

両者との関係は劇的に変化した。

 

母は軟化して、かなり優しくなったし、

子どもは成長して、大人になった。

 

そして今なら分かるが、

全てのことは自分発だったのだ。

 

私はいつも心の中で、

相手を責めていたけれど、

二人は私に気づきをもたらすために、

憎まれ役をわざわざ引き受けてくれていた、

そういう役回りだったのだと、思っている。

 

50年にわたる壮大なお役目は、

やっと終わったのだ。

 

家庭の中のいざこざは、

外からは見えにくいけれど、

他人ではなく、家族だからこそ、

うまくいかないことに、

多大なる苦しみを抱えている人は、

思いの外、たくさんいるのではないだろうか。

 

あの頃の私は、万策尽きて、

もう有効な解決策はない…と思っていたけれど、

そんなことはない。

 

目の前のことにいっぱいいっぱいだと、

気づきにくいかもしれないが、

道は必ずある。

 

そしてそれはひとつではないと思う。

 

私の場合と貴方の場合は違うから、

貴方は貴方にぴったりな解決策を

探していけばいいのだと。

 

目指す山の頂はひとつでも、

そこに至る登山道は何本もあるのと同じだ。

 

選択肢のひとつとして、

家族関係に特化した

こんなワークショップをご紹介したい。

 

 

矢印齋藤つうりin石川

『家族関係をめっちゃ軽くするワークショップ』

 

主催:Cerulean Blue

 

■講義/ワーク内容 

・熟年離婚を考えていた夫婦をラブラブに変えた、たった一言

・なぜ頑固姑は涙を流ながら、嫁に非礼をわびたのか?

・がまんすればがまんするほど、家族関係は大変になる

・自分がかわいそうという想いが、パワハラ夫、マザコン息子/引きこもりを作り出す

・学校にいけなくなった娘の裏に、母の「認められたい」が潜む

・脳科学による人間関係の超ストレス軽減

・キレる!をやめる方法

・沈みこんじゃう自分を一瞬で変えるコツ

・ゲシュタルトセラピ-による視点の解放ワ-ク

 

 

斎藤つうり氏は、異色の経歴を持つ。

 

アカシックリーダーでありながら、実はお坊さんなのだ。

 

お坊さんが、アカシックを読むとは、

常識ではちょっと考えられないことで

バッシングもあるそうだけれど、

これこそ、『全てはひとつ』ということの

現れではないだろうか。

 

時代は今、二極化からユニティへ移ろうとしている。

 

覚醒だとか、明晰さだとか、アカシックだとかに、

眉をひそめる人もいるだろう。

 

だけど講義内容からも分かるとおり、

このワークショップは、

高次元のなにかと交信したり、

宇宙からメッセージを下ろしてきたり…という類ではない。

 

もっと現実に即した、

地に足の着いた考え方や方法を学べる。

 

万人にフィットするとは思わないけれど、

もしなにか貴方の中で、

これかも!…というベルが鳴ったのであれば、

この機会をつかんでほしいなと思う。

 

その直感は貴方だけのもの。

 

そして直観は、決して過たない。

 

探し求める者に、道は必ず開けるから。

 

 


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