たったひとつのお弁当(親の立場から) | 北林ちかこのブログ

北林ちかこのブログ

並木道を優しい風が通り抜けるように、自然体で生きたい

動画はご覧いただけましたか?

未だの方は、こちらから
HANDMADE HOMETOWN

故郷を離れて暮らす若者6人。

毎日の生活に忙しく、
実家の家族のことを思い出すことなんて、
めったにないでしょう。

そんな6人の元に、
実家のお母さんが作ったお弁当が届きます。

同じ容器で、無記名で、
順不同に並べてある6つのお弁当。

さて、若者たちは、
自分の母の手作り弁当を
当てることができるでしょうか。

 


 
給食の学校もあるでしょうが、
たいていの場合、中学・高校はお弁当。

思春期に食べていたお弁当の味を、
果たして覚えているのか…。

答えは全員が正解でした。

ちゃんと覚えているんですね。

体が…、心が。



私も毎朝、作りましたよ、お弁当。

途中から中学が給食になりましたが、
長男には6年間、長女には5年間。

お弁当作りは、正直言って、しんどかった…。

ただでさえ慌ただしい朝の時間に、
昼のご飯まで作るわけですから。

冷凍食品も使いました。

前日のおかずも再利用。

副菜をたくさん作って冷凍したり。

スーパーに行くと、
夕食・朝食のことだけでなく、
お弁当のことまで考えて買い物をしました。

献立を決めるのが苦手な私には、
これもプチストレスでした。

 

…そうやって、頑張って作ったお弁当なのに、
反抗期の頃は、嫌がって、
学校に持っていかないことも。

お弁当ができているのに、
「パン買うから、金くれ。」と手を出された時は、
情けなくて、涙が出ました。

なにもかも気に入らない時期だから…。

どんなに激しくぶつかりあっても、
翌日には持ち越さず、
必ずお弁当は作っていました。

…かと思えば、
ストレスだらけの浪人時代、
予備校で開くお弁当が楽しみだった…と言われたことも。

悲喜こもごものお弁当。

この動画を見て、思いました。

もう成人した子どもたちですが、
きっとお弁当の味は、
2人の奥深くに刻まれているのだろう…と。



今、お弁当を作っているお母さん。

毎朝、しんどいと思っているかもしれません。

「ごちそうさま」も「ありがとう」もないし…、
作ってもらうのが、当然みたいな顔をして、
報われないな…とも。

だけど、毎朝作る、お弁当、
1回、1回が、子どもの心に刻まれていきます。

それは目に見えないことですが、
確かに、積み上げられていきます。

当たり前だと思っていたことが、
実は当たり前でなかった・・・と気づく時、
そこにあるのは、なんでしょうか。

それは、自分は親に
確かに愛されていた…という、
温かい想い。

親元を離れて、
1人で生活をして、
様々な試練に立ち向かう時、
その子を支えてくれるのは、
そんな記憶からくる自信なのではないか…と思います。

そういう風に考えると、
お弁当作りも、頑張ってみたくなりませんか?

今日できること、
ひとつひとつを丁寧にこなし、
明日へつなげていく、
そんな生き方に憧れます。




ブログランキングに参加しています。
↓バナーをクリックして応援していただけたら、
とても嬉しいです。いつもありがとう(*^_^*)


にほんブログ村