フキノトウが欲しければ…2 | 北林ちかこのブログ

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並木道を優しい風が通り抜けるように、自然体で生きたい

おはようございます。

いいお天気で気持ちがいい

昨夜、少しだけ積もった雪に、
陽光がキラキラ反射して、とてもきれいです。
 

フキノトウがほしければ
の続きです。

現実は自分の思考が作り出しているとすれば、
どうやったら、その大元の思考を、
書き換えることができるのか。

私も長年、観念や思い込みと向き合ってきましたが、
ショートカットはないように思います。

まず自分の心を探って、
その思い込みを見つけます。
(↑ここ時間かかる)

あれ、前にもこんなことあったな…と
思う出来事はチャンス。

同じような出来事に、
同じような反応をしているはず。

その反応や行動のベースにあるのが、
貴方の観念や思い込みです。

運よく思い込みを見つけることができたら、
本当にそうなのか?
客観的に見てそうなのか?
それは動かしがたい事実なのか?…と
検証していきます。
 

たとえば、「私は優しくない」と思っていたとしたら、
どうしてそう思うのか?
自分が優しくないと思うのは、どういう場面か?
逆に、誰かに優しくしたことはなかったか?…と
問いかけていくのです。

そうするとね、
いろいろ浮かび上がってきます。

そういえば、小学生の頃、
〇〇さんに「お前は優しくない」と
公衆の面前で言われて、ショックだったんだよな。

親も「女の子は優しくなければ愛されない」と言ってたし。

でも、この前、
友達の話を親身になって聞きながら、
一緒に泣いちゃった。

虐待の話をニュースで見て、
その子にどうしようもなく感情移入しちゃった。

ちょっと嫌な噂を聞いたけど、
本人の耳に入るとかわいそうだから、
その子の知らないところで弁明してあげたこともあった。

エスカレーターで、知らない親子に声をかけ、
ベビーカーを持ってあげた。

渋滞中の道路で、
合流できなくてまごまごしている車を、
入れてあげた。

〇〇が風邪気味みたいだから、
今日はショウガのいっぱい入った鍋にしようかな。

うん、あれ、そうだね、
優しいところもいっぱいあるじゃない!
 

そう気づくことができたら、
「私は優しくない」という思い込みを、
「私には優しいところもある」と書き換えてみます。

(私は優しい…と一気にハードルを上げず、
優しいところもあるにとどめるのがミソ)

そして、古い観念に囚われそうになったら、
その都度、「いやいや、私には優しいところもあるの!」と
新しい観念で上書きしていくのです。

地道な書き換え作業ですが、
やがて新しい観念が根付き
古い間違った思い込みから自由になれます。

…そしてね、現実も
その観念にふさわしい現実
変わっていくのです。

「優しいところもある自分」が作り出す現実は、
「優しい人に相応しい現実」になります。

さて、やましたひでこさんのフキノトウ
羨ましかった私としては、
『愛されまくっている私に、
世界中の人が摘みたてのフキノトウを
思わずあげたくなっちゃう』…と、
まずは思えばいいのか?

ちょっと違うか~~~まったり

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