親子の想いは双方向 | 北林ちかこのブログ

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並木道を優しい風が通り抜けるように、自然体で生きたい

おはようございます。

昨日の記事で、
親が子どもを幸せにしているようで、
実は子どもが親を幸せにしてくれていると
書きました。

その話を夫にすると、
「これは神様がかけた魔法だ」とのこと。

なんのこと?

お正月に子育て真っ最中のご夫婦と、
お会いしました。

就学前の女の子が二人いて、
賑やかで賑やかで賑やかでうへ

その子たちのお父さんが、
聞きしに勝るイクメンでした。

時間に融通がきくお仕事なので、
夜は早く帰り、子どもたちと一緒にご飯を食べ、
お風呂に入って、遊んで、寝かしつける。

それだけじゃなく、
食事の用意や後片付けも妻と分担しています。

子どもたちの水泳教室の送迎も担当。

「大変ですね」と私が言うと、
「いえ、楽しいので」と即答。

へえ~~~、今どきのお父さんって、
こういう人が多いのか、
羨ましいな~~と思いました。

夫はその方を引合いに出し、
彼の気持ち、自分にも分かる…と言うのです。

子どもたちが幼い頃は激務で、
朝は早くて、夜も遅く、
夜勤で泊まりもあったりして、
ゆっくりかかわる時間はありませんでした。

それでも一緒に風呂に入ったり、
読み聞かせをしたり、
ウルトラマンごっこをしたり、
近所の遊園地でゴーカートに乗ったり、
…そんなことが、とても楽しかったと。

子どもと関わること、世話をすること、
その成長を見守ることが、
楽しいことだと知った…と。

だから全力で、この子たちを
育て守っていこうと思っていた…と。

「これはやっぱり神様が、
親にかけた魔法だよ。

だって独身の頃は、
子どもに興味は全然なかったんだから。」
 

そんな風に思っていたんだね。

私は2つ違いの幼子の世話を、
ほとんど帰ってこない夫の分も、
1人で担っているように感じていました。

食べさせて、着替えさせて、外遊びさせて、
また食べさせて、風呂に入れて、寝かしつけて、
その合間に家事をして、
…延々その繰り返し。

必死すぎて、楽しい…なんて思ってなかったかも。

もったいなかったな。

今なら、子どもとの関わりを楽しむ余裕もあるのに、
あの頃は、家もくちゃくちゃで、
ただただ追いまくられてバタバタしていたから。

そして夫の話にも一理あると思いました。

子どもたちは、
親を選んで、親を幸せにするために、
生まれてくるけれど、
親の方も、子どもを守り育てることを
苦労と思わない、
・・・そんな魔法をかけられている。

親子の想いは、双方向ですね。
 

そしてね、ここまでは親の立場から書きましたが、
実は自分もかつては子どもだったこと、
思い出してくださいね。

私たちの親も、やっぱり魔法をかけられて、
一生懸命子育てしてきたのです。


「親に愛されてなかった」…と、
大人になってからその悲しみを爆発させる人がいます。

かくいう私もその一人。

でも、それも思い込みです。

私たちが望むような形ではなかったかもしれませんが、
親はその時々、できる限りのことをして、
私たちを守り育ててきました。

自分のことを考えれば、すぐ分かりますが、
親はパーフェクトではありません。

私と同じ、不完全で、欠点もいっぱいある、
普通の人です。

普通の人が子育てをするのだから、
失敗もするし、不用意な言葉も口にします。

自分の価値観の押しつけや、
コントロールもしちゃうでしょう。

今ほど、子育てや心理に関する情報も、
なかった時代に、試行錯誤しながら、
そして私たちと同じように、
「またやっちゃった…、
私ってなんてダメな母親なんだろうがーん 」と、
敗北感と罪悪感に打ちひしがれながら、
それでも一生懸命、
不完全なりに、できることをしてくれたのです。

子どもは、親に完璧であってほしい。

無償の愛をシャワーのように
惜しみなく降り注いでくれる人であってほしい。

でも、それは幻想です、普通の人なんだから。

「愛されてなかった」…と
自分を貶める癖のある人は、
まずこの幻想から手放しませんか。

自分の望む形ではなかったけれど、
親は親なりに、愛情を注いでくれた。


嫌な想いが湧き上がる度に、
呪文のようにこう繰り返すと、
きっとラクになれると私は思います。

 

今日も市内では、成人式の式典が行われています。

みんな、みんな、おめでとう。

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