ピュアな頃へ | 北林ちかこのブログ

北林ちかこのブログ

並木道を優しい風が通り抜けるように、自然体で生きたい

おはようございます。

昔の写真の提出を求められ、
古いアルバムをめくっていたら、
子どもの頃の私に再会しました。

何年前かは秘密ですが、
こんな時代があったんだなぁ…。

こんな純粋な目をしていた頃が。
 

これまで様々な体験を積み重ねながら、
長い時間をかけて、
自分の観念や思い込みを育んできました。

好ましい観念もあれば、
勘違いなもの、
昔はそれでよかったけれど、
今の私にはそぐわないものもあります。

要らなくなった観念に縛られていると、
生きることが苦しくなります。

それなのに、
自分の行動や思考のベースが、
体験から学んでしまった誤った観念で、
本当は違うとしたら?

抱え込まなくてもいい苦しさや哀しさを、
自ら望んで握りしめている…
ということですよね。

断捨離をする時、
目に見えるモノと向き合います。

ですが、モノには、
自分の執着や
その執着を呼び込んだ思考が、
からみついています。

つまり、モノと向き合う時、
人は自分自身と向き合うことになるのです。
 

わたしの場合は…、
自分のことを好ましくない存在だと
思っていました。

だから、ここにいてもいいよ…と
承認してもらうために、
人の役に立つ、便利な存在になろうと
一生懸命、努力しました。

…無意識に。

でも、尽くしても尽くしても、
どんなに便利になっても、
承認が得られたようには、感じられません。

当たり前ですよね。

私自身が、
自分のことを否定していたのですから。

こんな心のきしみが、
どうしてモノを手放すことで、
解消されるのか…。

それは繰り返し、繰り返し、
自分と向き合うからです。

外ではなく、自分の内を見つめ、
答えは中にしかないことを、
確認するからです。

自分と対話することで、
不要な観念に気づき、
手放したい…と強く願うからです。
 

父は厳しい人で、私はいつも叱られていました。

生前の父を思い出す時、
浮かんでくるのは怖い顔。

だから親から
愛されていないと感じていました。

…でももしかしたら、
それも私の思い込みだったのかもしれません。
 
今日は古いアルバムを整理しよう。

自分の心と向き合いながら。

ブログランキングに参加しています。
↓クリックで応援していただけると、
とても嬉しいです。ヽ(^o^)丿

にほんブログ村