ご訪問くださりありがとうございます
昨夜は
断捨離®トレーナー全体交流会でした。
休養中のひでこさんの笑顔が見られてホッとしました。
「断捨離®トレーナーは笑顔」
たくさんの笑顔の中に、
間抜け顔の私がいます
応援ありがとうございます
『肌感覚』。
断捨離のやましたひでこが
よく口にする言葉のひとつです。
昨夜も登場しました。
実のところ、
やましたひでこが発する
この言葉の意味を私は
今一つ落とし込めていませんでした。
断捨離のやましたひでこは言います。
「断捨離とは、五感の取戻し!」。
五感とは、
視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚。
ならば『肌感覚』とは?
「触覚」とも少々違うような。
「皮膚感覚」とも違うような。
はて???
はっきりとはわからないけれど、
『肌感覚』の言葉を使う時の ひでこさんの話の流れから、
「自分で実際に経験して得たことを消化吸収して自分の血や肉や智慧にする。
そうやって自己化した自分の“肌”で直接感じ取る感覚」。
そのようにボンヤリと捉えていました。
ボンヤリとしていた解釈が、昨夜、少しバージョンアップできました
「私たちが周囲の状況を素早く認識し、最適な行動をとるための重要な情報を察知できるのが『肌感覚』なのではないか」と。
ここまで書いていたら
龍村先生の『氣のからだ』のお話を思いだしました。
わかり易くて興味深いお話でした。
龍村修先生
「氣のからだ」とは、肉体を成り立たせる前のエネルギーのからだのことで、あらゆる生物はこれをもっています。しかし現代人は「氣のからだ」の存在を忘れ、肉体こそ自己であるかのように思いがちです。私はホリスティックな自己の回復のためには、「氣のからだ」の自覚と、それに基づく感性の復権が必須だと強調しています。
氣のからだに備わっている感覚とは、植物でも単細胞の生物でももっている未分化の感覚で、視覚や聴覚以前の感覚です。そして何かと出会ったとき、自分の生命を維持継続してゆくのに、それがプラスかマイナスかを感じる機能のことです。
たとえば、アメーバーのような単細胞の生物には、私たちがもっているような視覚や聴覚の器官はありません。しかし、自分の近くに食物になるものがあるときは、ちゃんと感じ取ってそちらの方向に移動し、囲い込むようにしてとらえます。
植物の種にもいわゆる五官はありませんが、土の中でどちらの方向に芽を出せば日光にあたるか、そしてどちらの方向に根を伸ばせば水や栄養分が多いのかを感じ取って、芽や根を伸ばして行きます。目や鼻がついているわけではありませんが、まるでまわりの様子が見えているかのように、匂いを嗅ぎ分けているかのように感じ取って、そうしているのです。
また動物はまわりの状況が危険か否かを感じて、ことが起こる前にさっと逃げたりします。たとえば鹿がライオンの姿を近くに認めていても、ライオンの殺気が自分に向いていないときは、逃げないで堂々と草を食べています。ライオンが近くにいるという情景を知覚しても、それが自分にとって危険か否か、プラスかマイナスかを感じ取ることが行動の基になっているのです。これは氣のからだで感じていることを示しています。
五官といわれる視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の感覚器官も、その起源を調べると、触覚細胞の変形なのです。視覚は光の分子(波動)に対してよく感応する触覚細胞であり、聴覚は音の波動に対して、嗅覚は匂いのある物質(匂う分子や波動)に対して、味覚は味のある分子(波動)に対してよく感応する触覚細胞なのです。すなわち触覚が五感の基本で、もっとも原始的な感覚なのです。
アメーバーの例でわかるように、触覚細胞は直接触れないと感じないのではなく、あるものが近づくと、それが発しているさまざまな波動を感じ取っているのです。目に見えるレベルでは距離があって、一見影響がないように見えても、その生物や物質がもっている固有の波動が、まわりに影響を及ぼしているわけです。さまざまな生物はそれを感じ取りながら行動しているのです。
龍村修著「生き方としてのヨガ」より一部抜粋
断捨離のやましたひでこの言葉
「断捨離とは“空間のヨガ”」
「断捨離とは、五感の取戻し!」。
「断捨離とは、『命の声=内在智』の錆落とし!」
これらは同時に
「『氣のからだ』の取戻し」でもあったのですね。
『肌感覚』がしっかりしていれば、
ある時には命を守り、
またある時には、余計な不安を生むことなく堂々としていられるのでしょうね