ごきげんさまです
ご訪問くださりありがとうございます。
母と話していたら、
こんなことを言いました。
「ウチの物置きは牛が建てた」
本当かな〜
認知症の母の記憶は、
時代や事柄が
シャッフルになっているようです。
実家の物置きは
昭和30年頃に建てたらしいのですが、
「牛が建てた」とはどういう意味なのか
父に聞いてみました。
私「ウチの物置きは牛が建てたと?」
父「虫?」

父「浮き?」
私「🐃う〜し〜」
父「🦶あ〜し〜」
父と長年連れ添ってきた母は、
“ここは私の出番だ”と言わんばかりに
話に割って参加。
母「あのねぇ、
ウチの物置きは牛が食べたのか、って」
違〜〜う
そんなこと聞いてな〜い
話は紆余曲折を経て、
どうやら
牛が直接建てたわけではないことが判明。
大工さんや木こりさん、
ご近所の人、
そして牛さんの力を借りて、
木材を運んで建てたようです。
実家の物置きには
牛小屋として作られた部屋があります。
牛の品評会で入賞したお祝いに
物置きを新築したのだそうです。
父が
牛を使って農耕を始めたのは小学生の時。
力の強い牛に
何度も引きずられたそうです。
牛は大事な家族。
牛のために物置きを新築したのなら、
母の「牛が建てた説」も
まんざら嘘ではないですね
山から大木を運び出したのも
人の力だけでなく
牛の力も借りたのだそうです。
直径40㎝ほどの大木を
大きなノコギリで切ったのも人。
その大木を運び出したのも人と牛。
切る
削る
組む
編む
練る
塗る
etc.
とにかく全て人力。
人が行動する中で
どんどん生まれた智慧。
昔の人って凄いなぁ〜
両親も
そんな時代を生き抜いて来たんだよなぁ〜。
身体のあちこちに
ガタが来ている両親に対して、
偉そうなことを言っている私。
恥ずかしい。
そう言えば、
東日本大地震直後、
ライフラインは全てストップし、
モノも不足して右往左往していた時、
大活躍したのが
「高齢の方々の智慧」でした。
瓦礫の中から
使えそうなモノを拾ってきて
五右衛門風呂を作ったり、
有るモノを再生させて
新しいモノを生み出したり、
高齢の方々の智慧が
便利な時代に生きていた私たちを
救ってくれました。
「大丈夫、なんとかなる」
「なんとかする」
この言葉は
智慧があってこそなんだと気づきました。
一にも二にも
行動することが大事なんですね

