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歴史ヲタの近現代史ブログ

様々な近現代の歴史を紐解きます

お盆といえば、里帰りや旅行など、非日常を満喫し、英気を養う時期でもありますが、同時にそれはご先祖様を弔い、亡き親族に思いを馳せ、自らの日常を静かに見詰めなおす機会でもあります。
ナスやかぼちゃで作ったご先祖様の「乗り物」も、また季節感のある楽しいもので、送り火代わりの花火の色もまた、この季節ならではのものですね。
日本中が祈りと鎮魂の色に染まる、日本独特の風習の時期でもあります。

ところで、開戦劈頭破竹の勢いで進軍した日本は、どこでその勢いが止められ、敗戦への坂道を転がっていったのでしょうか。
その理解として一般的なものは、恐らく陸の戦いがガダルカナル島の戦い。
海の戦いがミッドウェー海戦ではなかったかと思われます。

このうちミッドウェー海戦は、空母を中心とした輪形陣による空母の集中運用と集中打撃という全く新しい戦法を編み出した日本海軍のアドバンテージがまだまだ大いに働いていた時でもあり、空母や空母護衛の巡洋艦などの性能を考えても勝利は疑いなく、アメリカ海軍の司令官ですら「避けられない悲劇を戦いに行く心境だった」と振り返るほどに戦力差がありながら、敗れた海戦でした。

この海戦により主力空母4隻を失い、真珠湾以降の歴戦の熟練パイロットの大半を失った日本海軍は、これ以降において一度も南太平洋における戦いのイニシアティブを取り戻す事ができないままに3年半の年月が流れ、レイテ沖海戦に投入した残存空母・戦艦・巡洋艦の全滅をもって日本海軍は事実上消滅。
ここに敗戦を迎えることになりました。
日本は、有史以来初めて独立を失い、連合国の傘下に入る事になりました。
多くの戦没者を巻き込みながら、まさに悲劇の幕が終わったといえるでしょう。
五十森達哉

ミッドウェー海戦における敗戦の要因の分析は未だに歴史家の間でもホットな話題で、なぜ戦力・経験・物量に、勝る局地戦で日本が敗れたのかについては多くの研究がなされていますが、ひとつ間違いがない事は、海軍の人事制度に大きな欠陥が在ったのは間違いなく、本来であれば水雷畑出身の南雲忠一中将がなぜ空母機動部隊の指揮官となったのか。
その指揮に大きな問題があったのは間違いがないものと思われます。
惜しむらくは、山口多聞中将のような航空畑の有為な指揮官がいたにも関わらず、機動部隊をそれらの人材に預けられなかったこと。
70年後の今でも、悔やまれることであるのかもしれません。
戦後の評価は様々なものがあるのは事実ですが、ここは静かにご先祖様に静かに手を合わせ、お祈りを捧げるだけの日にも、してもいいのではないでしょうか。
五十森達哉