自分と同じ年くらいの女性の患者さんが尊厳死された。

治療している時点から、先が長くないのは感じていたが、どうにかゆっくり着地点を見つけてくれれば…と思っていたところだったので、残念。残念と言う単純な気持ちでは言い表せず、とにかく複雑…。自分は軽く恋していたのか!?と思うくらい、心に引っかかる。自分の関わりのある人が尊厳死を選択したことがなかったからか!?

素性は知らなかったが、いつも賢く、無駄なことや理論が釈然としないことは嫌いな患者さん。

後で頂いたお手紙で、自分と同じ大学の後輩と知る…。

半年ほど前に、少し厳しいかな、、という状況が分かった時点で、「一度ヨーロッパに旅行したい」と仰っていた。

結局病状の悪化に伴い、「行かなかった」と聞いていた。

その後治療を受けられ、結局先日、スイスで尊厳死を選ばれたとのこと。

恐らくスイスに同行されたご家族が、帰国後すぐに病院に挨拶に来てくださった。それがすごく嬉しかった。

最後の方の受診時は頻繁に同席下さったご主人に加え、初めてお会いした娘さん。2人姉妹の姉とのことで、妹は小学生だからその日はこられなかったと。ちょうど我が娘とほぼ同世代だが、はきはきしてとても利発そうな女子中学生といった印象だった。

私のことを、いつも、「神様みたいだ」と仰っていたと。

それでも、最期は体調も万全とは言えないなかスイスまで移動してもらい、尊厳死を選ばざるをえなかったのだろうか。。

自分が、自信のpromotionのことでたまたま年休を取った日に主科に受診され、次の治療を考えるべき日に自分が診察していれば、スムーズに次の治療が出来てこんな結末にならずに済んだのでは!?と、自身を責めたり…。

 

感謝のお手紙を頂くことは何度かあったが、明日自死を選ぶという状況の若い患者さんから、死の予定日1日前のお手紙を頂いたことはなかった。後で知らされて、こちらもなかなか普通では居られない。

 

病魔に自分の死期を奪われることが本当に嫌だったのだろうな…と推察する。それなら、自分で自身の死期は決めたいと。

賢い彼女ならそう考えただろう。

そのために、自分は何もして上げられなかったのだろうか?わざわざしんどい状況でスイスまで行くのは、自身も家族も大変だったろう…。彼女のその大切な決断を、国内で実行して上げられなかったのか!?

今は無理だが、10年、20年後には日本でも実現可能になるか!?

科学的な発展も重要だろうが、社会の倫理的な成熟も重要だと痛切に感じさせて下さった。