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古代

①エピクロス 快楽主義

アリストテレスの教え子であったアレクサンドロス大王による大規模な侵略戦争の最中で国がバンバンなくなってった。ヨーロッパ、アラブ、アジアにまでわたる一大帝国。その自国の滅亡というアイデンティティクライシスのなかでいかに生きていくべきか、という問題。

キュニコス派は、世間的な幸せの放棄により本当の幸せに到達しようとした。それは「最初っから何も所有しない」ということだった。乞食的生活

ストア派、禁欲主義欲望に負けない理性を保つこと。

そして、エピクロス派、彼らは快楽を求めた。しかし、それは贅沢などでは無く、「飢え、乾き、寒さ、暑さ」などの苦痛が取り除かれた「普通の状態」のことである。一過性の快楽はエピクロスにとって快楽の定義にはない。

快楽主義、或いは刹那主義と呼ばれる彼の思想はむしろ「いかに普通で慎ましくあるか」ということに向かっている。彼の、隠れて生きよ、とは世間的な面倒から隠れろ、というくらいのもの。

エピクロスにとって全能の神は、そもそも人間になんてかまっているような者では無いだろう、だから気にしない、くらいなものだった。


②イエスキリスト

キリスト教の元であるユダヤ教。それは全知全能の唯一神信仰で、その神と契約したのはユダヤ民族だけであり、終末の時に選ばれるのも我々だけだという思想。しかし、そもそもヘブライに暮らしたユダヤ民族は紀元前13世紀、古代エジプトの軍に連れ去られ奴隷民族としての生を強いられた。そこからモーゼの出エジプト記となるが、そこから逃亡生活が始まり、その悲惨さのなかでユダヤ教が生まれる。
パレスチナ、彼らにとって神が与えた約束の地に古代イスラエルを建国、しかし、北のイスラエル、南のユダ王国に分裂、さらに北はアッシリア、南は新バビロニアに滅ぼされ、再び奴隷としめ連れ去られる。

そんな彼らにとって、ユダヤ教の教えは最上級の救いだった。彼らは今の不幸に対し、これは神の試練であり、信仰の末、救世主が現れ我々を救ってくれると信じ、先祖からの口伝えで教わった律法を守り続けた。そこで現れたのが、救世主、イエスキリストである。

ユダヤにとってイエスは待ち望んだものではなかった。敵を愛せだの律法を破る行為をするだのでユダヤ人から失望され、偽物の救世主として捉えられ、十字架に張られ石を投げられ槍で殺された。

弟子たちはそれに悲しみ布教活動を続けた。古臭い教義が、豆を食べるな、とかの生活規律を押し付ける中、イエスの「隣人を愛して、自分たちを創造した神の愛を信じて生きよう」というのは確かにかなりセンセーショナルだったのかもしれない。


③アウグスティヌス 懺悔的教義


300年頃まではカルト集団とされていたキリスト教、信者のコンスタンティヌスがローマ皇帝となり、ローマ帝国での布教が認められる。ローマ帝国はそれを国教とし、他の宗教を禁止した。

弾圧され続けながらも、やっと権力側になったキリスト教はその後で聖書解釈を巡る内輪もめ派閥争いを始めた。その争いで勝ち、教義を作ったのがキリスト教最大の教父と呼ばれるアウグスティヌスである。

彼は32歳でキリスト教に入った回心者である。それまではマニ教やプラトン主義などを渡り歩いていた。

彼の著書、告白。ここには過去の罪が書かれている、と言っても、下劣な情欲に燃えた、とかそんなのだが。彼は正直だった。そこで彼は自己のことも踏まえ、「人間は自力では救われず、神の力が必要なのだ」という考えをした。当時の敵対していた派閥の司祭たちのスタンダードは、人間は本来善であり、「禁欲によ。神に近づく、努力によってのみ救われる」というものだったがアウグスティヌスはこれを否定した。我々は、か弱く、罪深いが故、神に全てを告白し許しを請い、神の慈悲によって救われるように祈るのだ、と、懺悔的教義を打ち出した。それにより、誰もが実践可能な大衆の宗教が出来上がる。


④トマス・アクィナス スコラ哲学


12世紀過ぎ、古代ギリシャのアリストテレスの著作が西洋のキリスト教圏に入ってくる。万学の祖による自然科学の観察、また、論理学などの哲学体系が信仰の世界に流れ込む。それは、キリスト教の教義と矛盾するものも多かった。
ラテンアヴェロス主義は神学と哲学の間を取ろうとしたのだが、結局は彼等も壁に当たり異端として闇に葬られる。哲学は全能の神のパラドックスまで書いてあり、論理的になればなるほど神学への懐疑は増えていった。中には二重真理説と呼ばれる「どっちも正しいじゃん」的なのも生まれた。

トマスアクィナスはその二重真理説に納得しなかった。彼は神学と哲学の調和でなく、神学を哲学の上に置こうとした。理性が、自然現象には結果と原因があると言うなら、最も原初の原因は何か、とアクィナスは問いた。原因と結果を超越した神を想定し、理性により理性を超えた存在を導いた。

理性の範囲外にある真理については神学でしか答えられない。それは神の啓示でしか知ることができない、と、神学と哲学を別のレベルのものとして扱った。


⑤ニーチェ 超人思想

ルターによる宗教改革、内部分裂、キリスト教はカトリック(保守派)とプロテスタント(ルターの改革派)に分かれる。そんな最中にニーチェが神の死を告げる。ニーチェにとって神とは、弱者のルサンチマンが作り出したもの、弱者の負の感情が生み出し、その神への信仰は人間本来の生を押し殺している、と言った。

西洋における善さとは強く力があること、その価値観をニーチェは騎士的、貴族的価値観と名付ける。そして、それがある時から、神の名のもとに苦しみを耐える我々は高貴である、と、現実の敵を倒すのでは無く、精神的な価値観を創造、捏造し、その価値観の中で敵に勝利するという歪んだ復讐を始めた。

そのユダヤ民族の考え方をニーチェは僧侶的、道徳的価値観と名付け、キリストへ受け継がれ彼が無抵抗に十字架に磔にされ槍で刺された時、価値は逆転する。弱者が善とされ、強者は悪とされる。そしてそのユダヤ教から始まりキリスト教に受け継がれた僧侶、道徳的価値観は全世界を覆った。信仰や道徳は弱者を救済する、ルサンチマンを正当化する言い訳のシステムだと彼は主張した。