《コミュニケーション能力について》


中学生以来の対人力強化の見落としていた点が如実に発現してきた

→これらの強化は男に対してのみであった


対象に性別の指定をしていたわけではないが、男子校であったことで必然的に演習相手は男のみであった


最大の誤認識とは、男に対する会話力が女子に対して互換性があるという点である。


これまで自分の会話力について悩んだことは殆ど無かったため、今回の発見は自身を揺るがす大きな転換点となった


 原因の究明

突然の思いがけない問題ではあるが、敢えて目を逸らしてきた問題がここにきて顕著になっただけではないのか。


今回の問題点は、短期的に解決・改善できるものでは甚だない

しかしながら、これまでに与えられてきた環境の中でこの問題を意識し、改善することはかなり無謀であったのではなかろうか


 解決策の模索

男女での直接的な互換性があるわけではないが、共通する部分はある筈である


では、なぜ男とでは意識しなかったほどの話題の提供、展開が女子相手では困難になるのか?


仮定①: 緊張をしているのではないのか。

これは一般的な見解として挙がるであろう仮定だが、当てはまらないと考える。

確かに会話量の少ない女子相手では緊張を感じて会話が円滑に進まないことがあるが、これは男に対しても当てはまることである。

また、相対的に会話量の多い女子に対しては意識上のみの認識ではあるが、緊張は感じることない。だがしかし、同じ条件下での男と比較すると、女子との会話では明確に会話が円滑ではなくなる。

従って、緊張が会話に影響を与えているという仮定は当てはまらないと考える。


仮定②: 相手の対応

ここで、相手が会話相手によって態度を変化させているのではないのかという仮定を立ててみる。

初めに、私はこの仮定を完全に否定をすることはできない。一般的な認識として、相対的評価の優位な人間に対しての態度は劣位の人間と比較して良いと考えられている。また、実際にそのように振る舞う人間は一定数存在する。


しかしながら、今回の考察を引き起こした人物は前述の特徴にそれほど当てはまらないのではないかというのが私の見解である。

つまり、話題提供能力、そしてそれを広げる能力によって男側の評価が決定されるのではなかろうか。

  

たがここで一つ、仮定①の会話量について捨てきれない事実がある。

私は今回の人物に対して、相対的な会話量から評価するに緊張を感じていないとしたが、その会話量が絶対量で少ないのではないかという疑念がある。その場合、仮定①より、会話が円滑に進まない原因が見えてくる。


しかしながら、上記の疑念点が排除しきれないのではあるが、私の目標とは女子に対するコミュニケーション能力の増強である。


 今回の例を基にした方法の探究

状況としては、次のとおりである

女子Aと男子a、そして私がサークル帰り道を歩いている。

女子Aと私はサークルに毎回来るメンバーであり、男子aは半年ぶりに顔を出した人物である。(だがその間、食事会などのイベントには度々顔を出していた)


今回の比較として、上記の数時間前に男子aがサークルに遅れて参加をした為、私と女子Aのみでサークル活動の場所まで移動していた。そしてその間の会話での沈黙は4〜5割といったところであった。


前者の帰り道では、本来であるのであれば沈黙が行きと同じくらいの割合で生じていたのであろうが、会話が尽きることは殆ど無かった。

それは、男子aが話題を展開してくれたからであり、私はその能力に感嘆したのである。


ここでの会話では、一貫して男子aが提供したある話題について会話をした。

私は会話が尽きることに恐れを感じる為、何か話題が尽きたらその会話を続けるために新しい話題、又は話題の展開をしようとするのだが、勿論それが困難な場面も多々ある。それが起こってしまったのが行きの2人での会話なのだが、帰りの男子aを交えた会話ではそれが起こらなかった。

会話が終わった瞬間、私は会話を続けようとあれこれ考えたが、浮かばなかった。しかし、男子aはその時、展開の方向での話題を提供し、会話を存続することができたのである。それが2〜3度繰り返され、場を持たせたまま解散をすることができた。


私は、彼の話題提供能力に感嘆したのである。

その三人の共通している知識、親密度は男子aと私とでは同じ筈なのだか、彼は会話を続けることができ、私はただそれに乗っかることしかできなかったのである。


これは一見、女子との会話を持たせるのではなく、複数人での間の会話を持たす場面のように見える。だが、男子aが主に話しかけていた相手は女子Aであり、実質的には女性との対面の会話と捉えるべき状況なのである。


また、この場面で男子aは会話の方向性を女子向けにしていたのではないかと私は考えている。


数少ない私の経験に基づくが、男に対しての会話と女子に対しての会話を区別して行っている人は多い。これは私が男子校出身ゆえに感じるところだが、共学出身の人間や女性慣れしている者にこの傾向が見られる。


まさしく、私が身につけるべき能力とは、「女性に対しての会話モード」なのではなかろうか。


私の悪癖として、展開のし難い話題ばかりを提供し、且つ話題を展開するのではなく新たな話題を提供するという傾向がある。


よく、女子との会話はつまらないということを人から聞くことがある。それはやはり、会話の展開が我々に求められているからなのでは無かろうか。


しかしながら、私からすると違和感を感じる女性向けの会話も、実際には最適解であり私が得るべき能力なのであろう。