御宿場印めぐり 栗橋宿
2026年2月21日 御宿場印めぐり栗橋宿(くりはしじゅく)は、江戸時代に整備され、栄えていた宿場町である。日光街道・奥州街道の内江戸・日本橋から数えて7番目、すなわち武蔵国のうち第7の宿である(現在の埼玉県域では6番目)。当宿と利根川対岸の中田宿は合宿の形態をとっており、両宿を合わせて一宿とする記述も有る。街道:日光街道・奥州街道御宿場印:栗橋宿購入場所:栗橋総鎮守 八坂神社 栗橋宿の規模は、天保14年(1843年)の記録によると人口1,741人、本陣1、脇本陣2、旅籠25軒、家数404軒、であったという。栗橋河岸は、元禄3年(1690年)に、利根川右岸、利根川と権現堂川との分流点である分岐部近隣に成立した。栗橋宿から中田宿につながる奥州街道・日光街道の間には利根川が交差している。しかし、軍事上の目的から架橋されなかったため、代わりに渡船場が置かれ房川渡しと呼ばれていた。また、利根川沿いには、房川渡中田関所が設置された。関所は、当初中田側に設置されていたが、寛永元年(1624年)に栗橋に移設した。正式名称は「房川渡中田御関所」であるが、通称「栗橋関所」とされた。旧栗橋町(現久喜市)の蓋くりはし千貫神輿デザイン。旧栗橋町で毎年7月行われる天王祭のお神輿は、江戸末期、文久3年に作られたもので 関東三大神輿のひとつといわれ重さは「栗橋小唄」の中で「千貫(約3.7t)」と唄われ豪快に 振り立てるように担ぐ事から一名「暴れ神輿」とも言われています。「オイヤサ・オイトサ」 の掛け声も勇ましく、そのスケールの大きさと壮麗さは、他に類をみないものです。撮影場所:栗橋八坂神社前