黄砂も収まった今朝、隠れて咲いているアイリスを摘んで花瓶に挿した。花瓶はその昔月夜野方面へ行った際、ガラス工場で買ったものだと記憶している。
花瓶つながりで思い出したことを書き留めておきたい。
私立の女子中学校に入ったばかりのころ、校舎は建築中で一年生はプレハブのような仮校舎だった。当時は良妻賢母を育成するという大義名分の女子校。当然掃除当番もあり、私はトイレの掃除だった。(ボットンですよ)
掃除していて、トイレの棚に置かれた花瓶を床に落としてしまい、花瓶は砕け散った。大変、どうしよう、私はかけらを寄せ集め、担当の先生のところに持っていき、落としてしまいましたと半泣きになりながら言った。
二十代後半の家庭科の先生で、仕方ないねとあっさりと言ってくれた。かけらどこに捨てたらいいですかと聞くと、今なら信じられないが、ボットンに捨てておきなさいという返答。言われたとおりにした。
その家庭科の先生は、やさしいが時には怖い。(当たり前だけど)
家庭科では初めのころは運針の練習などをやり、少し経つと、肌襦袢を縫った。縫い針やハサミを左手でしか使えない私はこれがとても嫌だった。
当時は左利きはマイノリティーで肩身が狭かったのだ。幼いころから私は左手で箸を持つと父の手が飛んできた。箸と鉛筆、この二つだけは人前で使うことが多いので、右手で持てるようにならなければならないという、当時のごく普通の考えだった。父が私に厳しくしたのはこの二点だけだった。
それで箸と鉛筆は右手で使えるようになっていたが、縫い針とはさみは左手だった。
家庭科の時間、先生が見ていないときは左手で針を持ちさっさと進めて、先生が近づいてくると針を右手に持ち替えた。当然ながら苦手な授業だった。
その上、さらしの生地で肌襦袢を仕立てる時に、私ははさみを入れる場所を間違えた。またもや半泣きになりながら先生に言うと、先生は私の布をさっさと接ぎ合せて下さった。
おそらく世話の焼ける生徒で困ったものだと思いながら針を運ばれたことと思う。
まだ追加があって、ひと月も経たないうちに私はまたトイレの花瓶を割ってしまったのだった。この時も先生に報告し、花瓶のかけらはトイレに捨てた。
次々と思い出される。
当時は左利き用のはさみはあまり売ってなく、高額でもあった。私はずっと右手用のはさみを使っていたので、画用紙などひかれた線の通りに切っても微妙にずれる。だから工作も苦手だった。
大人になってからホームセンターで左利き用のはさみを右手用と同じ値段で売っているのを見て驚いたものだ。一度買ってみたが、長年右手用を使ってきたので、その左手用のは使いにくかった。
だからいまだに右手用のを使い続けている。
そしていまだに、箸とペンは右手、ハサミや包丁、縫い針は左手、かぎ針はなぜか右手、ナイフフォークはその時々に使いやすい方を無意識に使う。
いつかカメラ屋さんで新しいカメラを持って見た時に、どっちに持ってシャッターをどっちの手で押せばいいのかわからなくなったことがあった。
思い出せばきりがない、わが左利き人生!
