よく有名人が亡くなったあと、そばにいた人が「最後は眠るように安らかでした」などというコメントを出す。

意識が混濁し、やがて薄れ、消えて、呼吸が繰り返され、それが次第に弱まり、止まる。我が母の最期もまさにそのようだった。蝋燭の火が消えるように。

その時に蝋燭の本体の軸が尽きていれば、天寿を真っ当したことになるのだろう。

大正8年10月に生まれて令和6年2月17日午前6時1分まで、104歳と4ヶ月、母はしっかりとその天寿を真っ当した。

最後に私は「よう頑張ったねぇ」と声をかけた。


小学校から高等女学校までの勉強、卒業後の合唱団、戦時下の結婚、父の出征、戦後の出産、子育てや家計のやり繰り、何度もの引っ越し。90歳を過ぎるまで自分の面倒は自分で見ていた。本当に頑張り続けた人生だったと思う。


母が自分で支度していたものを棺に納めた。小学校から高等女学校の卒業証書、英文タイプや華道やかな書道の免状など。


好みの紫色の花に囲まれて母は旅立った。


私はあと何度、奈良に行く機会を得るのだろう。




近鉄電車は賑やか、