昨日は英語の日、暑い暑いと言いながら高齢者8人が集まった。フリートークのテーマは7月。思い出でもなんでも。

 

私は7月3日に息子が生まれた46年前の話をした。予定日は6月2?日だった。それで幼い娘もいるので早めに6月上旬から奈良の実家に滞在した。

実家から徒歩五分のところに総合病院があり、産婦人科の先生が評判のいい人だったので、娘のときも、姉の二度の出産も、兄嫁の通院も(出産は実家のある神戸で)すべてその病院だった。

娘は2歳半、隣に住む兄のところには3歳の息子がいた。兄嫁は二人目を妊娠中だった(12月出産)

 

娘と甥っ子は毎日朝から晩まで一緒に遊んでいた。庭にビニールのプールを置いて水遊びをしたり、家の中でぬいぐるみや電車などで遊んだり。

 

ある日、母が娘におもちゃのアクセサリー、プラのネックレスやカチューシャや髪をまくカーラーなどが一枚の紙にセットされたものを買ってきた。

当時娘は人形が嫌い、電車や車のおもちゃが好きだった。そのアクセサリーにも興味を示さなかった。

甥っ子が自分も欲しいと言い出した。それで娘はあっさりと貸してあげた。

男の子にしてはやさしい顔立ちの美少年タイプだった甥っ子はネックレスをつけてご満悦だった。兄嫁が将来〇〇ー〇〇みたいになったらどうしようなんて言っていた。

 

そんな幼い二人も、今や世の中枢にいて、仕事をしている。二人ともノーマルな人間になっている。

もちろん今の世の中、何をもってノーマルと判断するか、正解はわかりようがない。